波と図書 9月号 4

 「波」と「図書」9月号を津野海太郎さんでつなげるのでありました。「図書」で
は10月新刊に津野さんの本があり、「波」では「村上柴田翻訳堂」の特集ページに寄
稿であります。
 この特集ページのトップには、池澤春菜さんの文章がおかれていて、池澤さんも
「図書」と「波」を横断しています。
津野さんが書いているのは、7月の新刊だったものについてです。

チャイナ・メン (新潮文庫)

チャイナ・メン (新潮文庫)

 この小説のことはまったく知りませんでした。翻訳したのは藤本和子さんで、この
本が最初に刊行されたのは「晶文社」とのことです。その時のタイトルは、「アメリ
の中国人」だそうです。
アメリカの中国人

アメリカの中国人

 83年の刊行ですから、あまり新しい小説には関心が向いていない時であったかもしれ
ません。この時期はまだ晶文社の新刊はチェックをしていたはずですが、完全にスルー
でしたね。藤本さんは、それより8年ほど前に晶文社から「アメリカの鱒釣り」の翻訳
をだして、一躍有名になるのですが、当方は友人たちからすすめられても、この小説に
も読もうとしなかったのですからね。
 ということで、津野さんの文章からです。
柴田元幸氏を先頭に、この国に新しい翻訳の時代をもたらした方々がこぞって、その
第一走者として藤本和子の名をあげている。彼女の最初の編集者だった人間としては、
うれしいのだけれども、いささか情けない気がしないでもない。
 『最初の』というのは、1975年に晶文社からでたリチャード・ブローティガン『アメ
リカの鱒釣り』の、という意味だが、その後、何冊かの訳作品をへて、1983年に、やは
晶文社からこの作品を『アメリカの中国人』というタイトルでだしたころも、そこま
でのことは考えていなかった。
 いや、いまはちがうのですよ。三十数年ぶりに藤本訳の『チャイナ・メン』を読み、
うへえ、こんなに途方もなくすばらしい作品だったのか、とあっけにとられた。」
 文章の冒頭部分を引用です。全体の三分の一くらいでしょうか。この津野さんの文章
は、「チャイナ・メン史ひとこま」というタイトルで、津野さんが藤本さんの最初の
編集者となったいきさつが記されています。藤本さんと、そのパートナーであった
D・グッドマンさんは晶文社の路線に深くかかわることになったのですね。まさかその
藤本さんが、このような評価になるとは、そのときは思ってもみなかったということ
ですか。