このところは庭仕事の繁忙期でありまして、朝から何度も庭の見回りであります。
せっかく花ががんばって咲いているのでありますからして、ご近所の方にも見てもら
いましょうと思いましたら、雑草取りをしたり、咲き終わった花柄摘みなどもしなく
てはいけませんです。安曇野でマッチョな庭つくりをしている丸山健二さんにいわせ
ると「オバチャン・ガーデニング」でありますが、それはそれなりにたいへんなこと
です。
繁忙期ということで思いだすのは、次のくだりであります。(到底、当方の状況と
比較にはならないのでありますが。)
「この項を書いている今は、本年度の蛙の発生期で、家にいるより大学にいる時間の
方が多い日が一ヶ月ほどもつづいている。本を読んだり、『ほんの話』をしたりする
には、まことに不適当な期間である。この文章がブッキラボーで、教訓過剰な気味な
のは疲れているからである。」
上記の引用は、当方が偏愛する白上謙一さんの「ほんの話」教養文庫からです。
この文庫本は、折にふれて手にするのですが、拙ブログでは何度か話題にしているも
ので、ほんとおすすめの一冊です。
ほんの話―青春に贈る挑発的読書論 (1980年) (現代教養文庫)
- 作者: 白上謙一
- 出版社/メーカー: 社会思想社
- 発売日: 1980/04
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「ほんの話」の元になったコラムを、山梨大学学生新聞に連載されたのですが、後年
には京都大学に転じて、1974年9月に61歳の若さで亡くなりました。
白上さんが最晩年かに岩波「図書」にエッセイを寄稿したものを眼にした記憶が
あるのですが、これが確認できておりません。当方の記憶に残っているのは、かって
在籍した東京高師附属のクラス会に出席をしたときに、他のメンバーから子どもの頃
のあだ名である「ソクちゃん」と呼びかけられる(これはソクラテスにちなんでいる
とあったはず)ということと、東京高師附属のクラス会に出席するためには、それな
り立身出世していなくては格好がつかなくて、会社の役員とか高級官僚でなければ、
肩身がせまく、大学教師というのは、違った世界の住人だから臆せず出席することが
できるということのみであります。
当方の記憶に違いなければ、40年以上も前のものでありますが、わが家の物置に保
存されている「図書」のなかに、これを見つけることはできるでしょうか。