先日の新聞で、ひさしぶり丸山健二さんの文章を目にしました。
当方が高校生のころ、すでに丸山さんは作家デビューしていまして、小説を読み始め
た時には、重要な若手作家でありました。そんなこともあって、初期の作品は読んだ
記憶がありですが、その後、すっかりご無沙汰になっています。
信州の田舎で、オフロードバイクに乗って、骨のある小説を書く人というのが、当方
に刷り込まれている丸山さんの印象ですが、丸山さんは、読者に媚びる人ではありませ
んので、当方は丸山さんの世界にいれられずです。
昨日に続いて「作家の口福」からの引用です。
「文学的な精神だの、芸術家としての魂だのという、創作の世界にはありがちな金科玉
条のたぐいだが、しかし、それもこれも煎じつめるならば、まずは肉体がちゃんとした
形で存在してのことである。・・不摂生な暮らしから素晴らしい結果など生まれるはず
もなく、『生まれてきてごめんね』式の、だらしなさを競い合い、ぶざまな生き方を売
り物にして得られる共感は、そんな書き手と同類の薄気味の悪い読み手にしか与えられ
ない反応であり、その異様な特殊性こそが文学の本質であり、藝術を理解するための
必須条件であるなどと思いこむことによって、おのれの劣等生を隠蔽しようとしても、
結局は救いがたいだらしなさが作品にあふれてしまい、作文に毛が生えた程度の、少し
ばかりていねいに書いた台本くらいの、あまり稚拙な文章に終始する代物となる。」
息の詰まるような文章であります。どこかおいしいところを引用しようと思っても、
つまむことを許さない文章となっています。それにしても、「肉体がちゃんとした形で
存在」しなくては、創作はできないというのが丸山さんの文学世界でありますね。
今になって思うと、この厳しさについていくことができなかったことです。
最近手にしている勢古浩爾さんの「定年後に読みたい文庫100冊」には、丸山健二さん
の小説について、次のように書いています。
「丸山健二の小説は芥川賞を受賞した『正午なり』を収録した『夏の流れ・正午なり』
からわりと読んできた。わたしが考える丸山の最高傑作は『争いの樹の下で』である。
これは深い感銘を受けた。しかし同時に、重苦しい文章だなあとも思った。『日と月と
刀』もよかったが、物語性が薄く、やはり文体が重い。その後刊行される小生もかなら
ず上下二冊の長編で、だんだん気重になり、読むのをやめてしまった。
好んだのは丸山のエッセイ集である。」
このように記して、取り上げている作品は「安曇野の白い庭」であります。
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ができるかもしれないぞと思いました。