先日の新聞から 2

 先日の新聞で、ひさしぶり丸山健二さんの文章を目にしました。
 当方が高校生のころ、すでに丸山さんは作家デビューしていまして、小説を読み始め
た時には、重要な若手作家でありました。そんなこともあって、初期の作品は読んだ
記憶がありですが、その後、すっかりご無沙汰になっています。
 信州の田舎で、オフロードバイクに乗って、骨のある小説を書く人というのが、当方
に刷り込まれている丸山さんの印象ですが、丸山さんは、読者に媚びる人ではありませ
んので、当方は丸山さんの世界にいれられずです。
 昨日に続いて「作家の口福」からの引用です。
「文学的な精神だの、芸術家としての魂だのという、創作の世界にはありがちな金科玉
条のたぐいだが、しかし、それもこれも煎じつめるならば、まずは肉体がちゃんとした
形で存在してのことである。・・不摂生な暮らしから素晴らしい結果など生まれるはず
もなく、『生まれてきてごめんね』式の、だらしなさを競い合い、ぶざまな生き方を売
り物にして得られる共感は、そんな書き手と同類の薄気味の悪い読み手にしか与えられ
ない反応であり、その異様な特殊性こそが文学の本質であり、藝術を理解するための
必須条件であるなどと思いこむことによって、おのれの劣等生を隠蔽しようとしても、
結局は救いがたいだらしなさが作品にあふれてしまい、作文に毛が生えた程度の、少し
ばかりていねいに書いた台本くらいの、あまり稚拙な文章に終始する代物となる。」
 息の詰まるような文章であります。どこかおいしいところを引用しようと思っても、
つまむことを許さない文章となっています。それにしても、「肉体がちゃんとした形で
存在」しなくては、創作はできないというのが丸山さんの文学世界でありますね。
今になって思うと、この厳しさについていくことができなかったことです。
 最近手にしている勢古浩爾さんの「定年後に読みたい文庫100冊」には、丸山健二さん
の小説について、次のように書いています。
丸山健二の小説は芥川賞を受賞した『正午なり』を収録した『夏の流れ・正午なり
からわりと読んできた。わたしが考える丸山の最高傑作は『争いの樹の下で』である。
これは深い感銘を受けた。しかし同時に、重苦しい文章だなあとも思った。『日と月と
刀』もよかったが、物語性が薄く、やはり文体が重い。その後刊行される小生もかなら
ず上下二冊の長編で、だんだん気重になり、読むのをやめてしまった。
 好んだのは丸山のエッセイ集である。」
 このように記して、取り上げている作品は「安曇野の白い庭」であります。

安曇野の白い庭 (新潮文庫)

安曇野の白い庭 (新潮文庫)

 丸山健二さんの作庭記であるとあります。これなら、当方にも興味を持って読むこと
ができるかもしれないぞと思いました。