まだ途上なれど

 このところ夜に眠る前に読んでいる多和田葉子さんの「百年の散歩」であります。
短い短編が十作品で構成されていますが、読んでいるうちに寝入ってしまうもので、
一日に一篇も読み終えることができません。

百年の散歩

百年の散歩

 語り手(?)はベルリンの通りなどを歩いて巡るのですが、観光案内的なものとは
まるで趣が違うのですが、それでも非実用的ガイドブックといえるのかもしれません。
それこそ、ベルリンの詳細な通りの地図などを眺めながら読むと、さらに面白く読め
るのかもしれません。(といっても、面白い小説ではありませんですね。)
 当方はもちろんベルリンへといったことがなく、当方の記憶に占めるベルリンは壁
によって東と西に分断されていた時代のものがほとんどであります。
多和田さんのベルリンは、もちろん現在のものでありまして、多和田さんはそこで暮
らしているのでした。
 「マルティン・ルター通り」という短編を読みますと、この通りにある花屋に立ち
寄って花束を買うのですが、それを抱えたままで散歩を続けます。花屋の隣には空き
家となっている、カフェか飲み屋でもしていたとおぼしき建物があり、それをさらに
進むと、次の店に出会います。
「いきなり漫画本とビデオを売る店があらわれ、外に積み上げられたダンボール箱
一番上の箱は蓋が少しあいていた。勝手に持っていってください、ということかもし
れない。そっと蓋を持ち上げてみるとドナルド・ダックがいて、その帽子と上着のあ
せた空色がソ連の印刷物を思いださせたのでぎょっとした。クレムリンの背後の空は
いつもこんな色に印刷されていなかっただろうか。時間が経つと不思議な融合反応が
起こる。ちょうどベルリンの壁が崩れて二十年が過ぎた頃から、町の西側にかっての
東の雰囲気が漂い始めた。」
 ひどくドライな文章でありまして、これがために日本の小説ではないように思えま
す。なかなか不思議な感覚でありまして、その昔でありましたら、意気込んで留学な
どにいったけど、その地になじむことができなくてというのをよく目にしたものです
が、この時代に外国で暮らしている日本人は、どこかの一県の人口よりも多くなって
いますでしょうからね。