先日から読み継いでいる里見とん「安城家の兄弟」でありますが、上巻も終わりに
近づいたところで、やっと「兄弟」が顔を見せ始めました。
この小説が始まってからは、ほとんどが主人公の遊蕩生活についての記述でありま
して、小説を書くのを仕事にはしているものの、自宅では筆がすすまないので、旅館
のようなところに籠もっては、連日芸者をよんで酒を飲んでいる始末で、これで大丈
夫なのかと、読む人を心配させます。どのようにして、こんな生活が可能かといえば、
それについては作中で、次のように書いています。
「 ばか高価いのを却って売ものとしてゐるやうな沖津にお輿を据ゑてゐるのでは、
月平均百五十枚見当なら、大した重荷とも感じないくらゐ脂の乗りきってゐた昌造の
健筆でも、とてもその支払いだけのものが生み出されなかった。見る間に、あちこち
借金だらけだった。雑誌社、出版屋などには相応やかましいことを言って、取るもの
だけのものは遠慮会釈なく取り立てるはうの昌造だったけれど、使ふだんになると、
殊にあそびの金となると、痩我慢でなく、殿様気分で、高いも安いも一向おかまひな
しだった。四谷にある土地家屋を抵当に、銀行から金を借り出したりして、いつも
けろりとした顔つきでゐるのを、三谷のやうな年下の友達が却って心配して、『加島
さんも、あんなあそび方をしてゐたひには、きっと、遠からず紙衣を着るやうなこと
になるね』などと、陰で仲間と話し合ってゐたほどだ」
「沖津」というところにはなじみの芸者がやっているところでありますが、ここに
泊まりこんだりもするので、旅館のようなところと思ってしまいますが、ここについ
ては「茶屋小屋」とあるますので、花街にある「お茶屋」さんのようなところなので
しょうか。いくらなじみの芸者さんがやっているからといっても、代金は発生するわ
けでありまして、これの支払いに四苦八苦するのですね。
「沖津の勘定も、ふた月み月とたまって、もうどこにも借金のあてがない、といふ時
が、存外早くやって来た。親たちのおかげで、金銭に対しては鷹揚に育てられてゐた
けれど、根が、至って気が小さく、ずぼらが嫌ひといふ性分では、そこまで来ると、
やっぱり暗み沈んで行く気分をどうすることも出来なかった。なんの成算もなしに、
四谷に不相応な住居を建てたり、茶屋小屋に入り浸ったり、『高踏』といふ雑誌を
引きうけたりして、養家に属してゐた財産を綺麗に使い果し、にっちもさっちも行か
なくなって、母親から、安くはあるがちゃんと利息のつく金を借りて、どうやら一時
の始末をつけ、逃げ込むやうな意味で逗子にひっ込んだのは、つい三、四年前のこと
だのに、それにも懲りず、もう一度また、同じ窮地へ自分から飛び込んで来たのだ。」
いったいどのくらい遊んだものであるのかなと思うのですが、なんとか「紙衣を
着るやうなこと」にならずに、済んだのであります。
ということで、主人公の兄弟が話題となるのは、上巻も300ページ近くになってか
らのことでありました。
- 作者: 里見トン
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1953/03/05
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