「大波小波」東京新聞 3

 昨日に続いて篠田一士さんの「『大波小波』の五十五年」から引用であります。
 この文章は篠田さんが亡くなってから編まれた「評論集1980〜1989」小沢書店に収
録されています。(なぜかリンクをはることができませんでした。)
「まあ、時効だから書いてしまうが、ぼくがこの欄の筆者だったのは、昭和30年代後半
から40年代前半にかけての十年間だった。年に二回だったか、当時の執筆者全員があつ
まって飲む会があり、なるほどこういう方々がと、名実ともに末席を汚していたぼくな
どはおどろきもし、なるほど、これが文壇というものかと教えられるところ多々あった
ことを、いまとなっては感謝するばかりである。当時の列席者のなかで、亡くなった方
お二人だけを挙げさせてもらえば、平野謙吉田健一である。この二人が席を同じくし
て、文学はもちろん、一般日常事について語り合うなどということは、文芸雑誌その他
公の場所では、とても叶わぬ事だが、匿名批評家、それも『大波小波』の執筆者として
ならば、立派に同僚たりえたというのが、当時の文壇、そして日本文学創造の現場だっ
たのである。」
 吉田健一さんといえば、あのくねくねとして読みにくい文体でありますが、匿名批評
の場では、まったく違った文体で書いているのでしょね。(そうでなければ匿名の意味
がありませんから。)
 同様に篠田一士さんもいろいろと細工をしているのでしょう。コラムを担当していた
のは1960から70年くらいにかけての十年間となるようです。一月に二回くらいしか書い
ていませんので、全部で二百本くらいになるのでしょうか。
 ちょうど手元にあります「大波小波 匿名批評にみる昭和文学史」第4巻は60年から
64年までのものから選されていまして、きっとこの集のなかには、篠田一士さんのもの
とか、吉田健一さんのものがあるはずなのですが、それにあたりをつけることができる
でしょうか。
 篠田さんは昭和2(1927)年お生まれですから、最初は30代前半ということで、いま
考えるとずいぶんと若いことであります。