「大波小波」東京新聞 4

 「大波小波」は過去に四巻本となって刊行されたことがあります。これ以降にはまと
まっていないと思いますが、これでは1964年までが収録されています。もちろんすべて
ではなく小田切秀雄さんの選によるものです。
 この1960年から64年にかけては、傑作が多いといわれています。この時代に活躍を
していた人のほとんどは亡くなってしまっていますので、この巻の「大波小波」で
名前があがっている人で、現存の人をさがすのがたいへんであります。大江健三郎
石原慎太郎瀬戸内晴美さんというところが、このコラムに名前があがっていますが、
すでにキャリア60年ということでありますか。
 手元の第四巻のページをぱらぱらとめくりながら、篠田一士さんが書いたものでは
ないかという文章にあたりをつけています。たとえば、次のような文章はどうだろう
かな。(むしろ丸谷才一さんのほうかな。丸谷さんなら、もうすこしひねりそうだ
けども、それこそこれは持論だからね。)
「書評のあり方について、ここで新しい提案をしてみたい。一口でいえば、再刊物の
書評を行なえということだが、再刊物といってもいろいろあって、・・筆者が特に
再刊物というのは、文庫本に久しぶりに入った古典的な作品とか、はじめて翻訳され
たヨーロッパの古典とか、あるいは文庫本でなくても、『日本古典文学体系』のよう
な良心的な全集物の古典の新しい校訂本などである。・・
 たとえば、昨年ある全集に入ったD・デフォーの『ペスト』の初訳はカミュのそれと
読みくらべて、近代ヨーロッパ文学の奥底に根ざす不条理への追求を理解するチャンス
を与えてくれたはずだし、また数年まえに、これまたある日本文学全集が、井伏鱒二
『かるさん屋敷』を収めたが、それは、未刊のまま打ち捨てられてあったこの重要な
作品を、本の形で読むことができる最初の機会であった。にもかかわらず、書評はこれ
らの好機を逃したのである。」
 書き写してみると、ますます丸谷才一さんの文章かなとも思うのですが、丸谷全集に
収録されているもののなかに、この文章はありません。ほんと、どうなのでしょうね。