トイレで読む本 3

 昨日に、読み継いでいる大西巨人さんの「神聖喜劇」はトイレで読むにむいていない
ものであって、これをもって入りますと、でるものもでなくなりそうでありますと記し
たのでありますが、作品中にはトイレへといくことについての記述が何カ所かあったこ
とを思いだしました。
 さて、どこにあったかと見直しをかけてみましたら、まずは第一巻の361ページ(光
文社文庫版)、次のようにありましたです。

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

「しかし同時に私は、いまのところまだ緩慢な便意(大)を催してもいた。これから
呼集まで、食器洗い、呼集用意、・・と目がまわるような時間中、どんな適宜な段取
りでその目的を達するかも、また私にとって切実な具体的問題である。・・精液は
人体内の不用物資ないし老廃物ではなかろうから、性的放出(射精)は排泄作用と
呼ばれるべきではないのかもしれない。それでも性的放出の快感は、原始的には排泄
一般の快感の一種ではないのか。その性的排泄の正常自然な機会は、われわれから
奪われている。その不正常不自然な(?)方法は、ここでの私がさしあたり私自身に
禁じてきている。この二つの事情は、相当の忍耐と苦痛とを私に要求しつつある。
一月下旬に一度だけ『遺精おどろく暁の夢』が私にあったが、むろんそれは私の主体
的行為ではなかった。それならば現在私の主要にして正常自然な排泄の快楽は、用便
なかんずく一日一回の大用のそれでなければならない。この隊長、班長、班附らは、
いたずらに朝食後の時間を潰して、大用という(私にわずかに残された排泄の)快楽
をまで非人間的にも妨害するのか。・・私は、とても腹が立ってきた。」
 上に引用した文中で「・・」となっているところは、作者の記述のままで、省略し
ているわけではありません。それにしても、この文章にあふれるユーモアであります
ね。本来であれば作業を終えたら、兵たちのわずかな自由時間となるのですが、
それを前に主人公にしてみれば、どうでもいいような話を上官から聞かされて、
それによって、自由時間を奪われることに腹をたてています。それにしても、兵であ
る主人公の快楽が大用であるとは、トイレで本などを読んでいる場合ではないこと
です。