ありえへん世界 3

 加藤九祚さんがニコライ・ネフスキーの人生に関していうところの、「さらには
二十世紀前半の人類のかなりの部分が経験せざるを得なかった悲劇の一典型」という
のは、二回の世界大戦と、ロシア革命による混乱でありますね。
 ニコライ・ネフスキーは、将来を嘱望された学者でありまして、その研究領域は
日本においては、アイヌ文化から宮古島まで及びました。アジアでは西夏語の研究
にも取り組んでいたとあります。ほとんど研究をまとめるにいたらずで、ロシアへ
の帰国を決意するのでありますが、それは加藤さんによると「レニングラードにある
世界で最も豊富な資料を使って、世界でまだほとんど未開拓の西夏語を徹底的に研究
することであった。地下から発掘された謎の言葉の持つ魅力、それはなにごとによらず
オリジナルな研究を尊ぶネフスキーの学問的情熱をどんなにはげしく揺さぶったこと
だろうか。」となります。
 大阪外国語学校で職を得ていたニコライ・ネフスキーは、職を辞してロシアに帰国
するのですが、それは1929年のことになります。
 日本には、小樽時代に一緒になった奥様と一人娘を残しての帰国でありました。