サバイバル登山というのは、登山家 服部文祥さんのネーミングで、服部さんの本
には「衣食住のできるかぎりを山の恵みでまかなう登山」のことだそうです。
昨今の山ブームにはまったく縁がないスタイルでありまして、これに一番近いのは、
明治期に山で暮らしていた狩猟家たちの日々の暮らしでありましょう。
小島烏水さんの「日本アルプス」の冒頭におかれた「鑓ヶ岳探検記」を読みました
ら、こんな山奥に小屋があるのか、人が生息しているのかという記載があります。
そのどちらも猟士とあります。どんなところにいるのかというと、次のようにあり
です。
「鑓ヶ岳登山中、急湍の険と熊笹の悪とに至りては、到底富士、御嶽、館山、白山な
どの能く拓けたる高山にては、見るを得ざるところなり。
笹道を押し分け、石道三十五度の傾斜を以て聳ゆるところを攀づるに、石磊々とし
て足を挙ぐるごとに、石と石と相撲ち、喧噪して谷底に下る。後人の頭を敲きはせず
やと顔色変ずること幾回。樺の立木を目標として、横ざまに路をうばひ、灌木叢に切
れこみ、ここにて一つの小舎を見出しぬ、小舎といへど一枚巌の崖より廂の如くさし
出でたるを、そのままに屋となし、藤蔓を樺の木に結びて、壁を作り、蓆を入口に懸
垂したるものにして、この方より呼べば応とこたへて、骨格逞しく、しゅはつさんさ
んたる猟士一人出で来る、導かれて内に入り、小憩す。」
鑓ヶ岳の頂上まであと数時間というところの三十五度の傾斜のところに、小屋がけ
して暮らしているのですが、これぞ究極のサバイバル生活でありまして、この小舎に
宿泊した小島さんたちは、次のような食事を振る舞われます。
「主人は自在木の鍵にかけたる大鍋に、熊の肉汁を煮ながら、杓子にてドロドロと掻き
廻はしゐたり、炉辺には熊の肉のポツポツ切を串刺しにして列ねありしを、晩餐の肴に
乞ひ得て、数れんを喫す。昨日はやまめを味ひ、今は熊肉に飽く、山中の珍味これに
過ぎたるはなし。」
明治三十年代には、こうした人たちがまだくらしていたのでしょう。当時の測量隊
とか、地質学者たち、そして登山家は、このような山の住人を頼りとしていたことが
わかります。
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