山ブームかな

 山ガール出現といわれて、かなり時間がたっていますが、女性たちに支持される活
動は、息がながいことであります。
 このところはTVを見ていても毎日のように百名山やトレッキングについての番組
が放送されています。それだけ関心が強いということでしょうね。
 日本の百名山すべてを人力で踏破する番組には驚きました。毎日のように何十キロ
も歩き、目的の山に登り、海はカヌーで渡るという挑戦は、とても人間わざとは思え
ませんでした。この試みが成功したこともあって、その翌年にはさらにあわせて二百
名山となる山々を人力踏破し、このなかには比較的容易に登ることのできる山もある
せいで、挑戦する方が山頂に到達するとき、そこで大勢の登山者が出迎えるというこ
とが多くありました。登山というのがスポーツショーのようにも思えたことです。
 まあ、そういう登山というのもありなのでしょう。
 百名山の仕掛け人である深田久弥さんの本を見ますと、古くから人里から見えると
ころにある山は、江戸時代には登山者がいたとあります。こうした山は信仰の対象と
なっていることが多く、修行僧たちが山頂附近にほこらをもうけたり、仏像を安置し
たとあります。それにしても、江戸時代の人たちは、たいした装備もなしなのでしょ
うから、たいへんな苦労をして登山したと思われます。
 こうした登山が近代的なものにかわっていくのは、明治期にはいってから、まずは
外国人たちが挑戦し、それから20年くらい遅れて日本人 小島烏水が登場します。
 本日は、小島烏水「日本アルプス」を手にしていました。

日本アルプス―山岳紀行文集 (岩波文庫)

日本アルプス―山岳紀行文集 (岩波文庫)

 この本の冒頭に置かれているのは「鑓ヶ嶽探検記」であります。
 明治30年くらいに鑓ヶ嶽に登山してみようと計画するのですが、そのことを知った
父親から叱責を受けたと記しています。
「さてもさても心なき男にて侍るかな、一家の嫡子にして、老いたる親を戴き、幼き
弟ども多く控へて、軽からぬ責めある身にてありながら、何を好みてさるところへは
赴きたまふ、郷にしてもし、土地の測量、地質の調査、植物の採集なんどが、その職
ならば父もえこそは止めじ、よしや屍を深山に横たふとも、その身の義務とならば我
いかでかこれを悪しとはいはむ、されどおん身は、日常の職業を他に有するにあらず
や、若気の至りとはいひながら、世の常ならぬ好奇に駆られて、さる深山に足踏み入
れむとは、心なしとやいはむ、軽重本末を弁へぬ沙汰とやいはむ、まかりならぬこと
なり。」
 いまでも、登山にはリスクがついているわけですが、明治期には登山という行為自
体が認知されていないのですから、「軽重本末を弁へぬ沙汰」といわれて当然であり
ましょう。