月が変わって 2

 「図書」3月号に掲載の細見和之さんの「大阪文学学校創設六十年」は、細見さんが
文学学校の校長となったことを期してのものとなります。
この時代は、カルチュアセンターのようなところで運営される講座には、そこそこ生徒
があつまるのかもしれませんが、もうすこしつっこんだ人間関係となるであろう文学
学校で生徒さんを集めるというのは、たいへんなことでありますでしょう。
 その昔は、全国のあちこちに文学学校のようなものがあったはずですが、現在も昔の
スタイルで続いているのは、ここだけなのかもしれません。数年前のNHKTVでは、ここ
のことをドキュメンタリーとして放送していました。
 大阪文学学校の校長は、小野十三郎、長谷川龍生さんに続いて三代目だそうです。
「売り家と唐様で書く三代目」とならぬよう、責任が重たいことです。
 細見さんの「図書」の文章から引用です。
「私自身がそうだったように、大阪文学学校に入学するひとたちは何らかの形で人生の
転機にさしかかっているひとが多い。定年退職をむかえたひと、子育てから解放された
ひと、職場で強い違和感を抱えているひと・・・。小野十三郎、長谷川龍生と引き継が
れた校長の役割を私が引き受けるのは、正直なところ荷が重い。しかし、あのときの
自分のように、文学学校という場を必要としているひとはいまも多いと思える。
そのひとたちにかけがえのない人生の留学先として文学学校を維持してゆかねば、と
いう気持ちが私には強くある。」
 この文章の全文を引用したい気持ちにかられるのですが、是非とも多くの人に読んで
もらいたい良い文章です。
 この文章の最後のくだりには、「校長在任中にしたいことのひとつに、小説の執筆が
ある。」とありました。細見府立大教授・大阪文学学校校長は53歳になったばかり、
小説を書いても芸人作家のように話題にはならないでしょうが、当方は細見さんの作品
は読んでみたいと思います。
 細見さんは、この文章で「一昨年からは自作の詩に曲をつけるつけるという「ことを
はじめた」と記していますが、この曲のほうはネットで見られるようになっていました。