手にしている本

 今回の旅行に持参したのは柴田元幸訳「僕の名はアラム」でありました。

僕の名はアラム (新潮文庫)

僕の名はアラム (新潮文庫)

 本文は読みやすくなっていますし、文字は大きくなっていますから、旅行の携行本
としてはぴったりであったようです。とっくに読み終わったといいたいところですが、
あといくつかの短編を読み残してあります。
 戻ってからは、旅行前から読み継いでいる本にかかっています。あと数日で図書館
へと戻さなくてはいけないので、もうすこしピッチをあげる必要があります。 評伝「富士川英郎」となっていまして、著者の父であるドイツ文学者、比較文学
伝記でありますが、あわせて明治から昭和、平成 三代の学者家族のお話であります。
 富士川英郎さんは、最初はドイツ文学専攻でリルケ研究者ですが、それに関するとこ
ろは、こちらになじみがなくとまどうのですが、「ドイツ文学者から江戸漢詩の研究者
へと転身」してからは、急に親近感を得ることです。
 この本には、富士川英郎さんの仕事に大きな影響を受けた作家として中村真一郎さん
の名前があがっていますが、中村真一郎さんの「頼山陽」は、富士川英郎さんが大著を
残した「菅茶山」の弟子にあたる人でありました。
 これまで読んだところで、目を引いたのは、次のくだりです。
富士川英郎は『伊沢蘭軒』の大変熱心な愛読者である。日記によると、昭和47年十月
十一日の項に『伊沢蘭軒』を読みはじめる。第五回目なり』と記されている。同年十二
月十八日には『伊沢蘭軒』を読了するとある。そして翌々日から岩波書店の鷗外全集月
報のために、『伊沢蘭軒標柱』の連載原稿を書きはじめている。ちなみに標柱とは測量
などの目じるしとして立てる細長い棒のことであり、『伊沢蘭軒』を読むための手引き
ほどの意味であろう。この標柱の仕事を見れば、英朗が鷗外の単なる愛読者にとどまら
ず、熟練の鷗外研究者であることは明々白々である。」
 鷗外に「伊沢蘭軒」があることは知っていますが、これを読んだ人はなかなかいない
と思われます。
 著者の富士川さんは、この作品について、次のように記しています。
「筋らしい筋もなく、全く無名に近い江戸時代後期の多数の儒医や考証学者たちそれぞ
れの来歴やら系譜が身上調査風に次々と詳細にわたって書きとめられ、煩瑣なまでに
徹底した考証を施されている『伊沢蘭軒』の場合、普通の小説や伝記好きの読者でさえ
もこれを読み通すことは必ずしも容易でないだろう。」
 当方も年齢を重ねてきたことによって、うとうと居眠りしながらも煩瑣で退屈になる
本が読めそうになっているのですが、この本を読んだことが鷗外の作品への道しるべと
なるでしょうか。