本日の本

 先月からかわらずでトニー・ジャットさんの「20世紀を考える」を読んでいます。

20世紀を考える

20世紀を考える

 トニー・ジャットさんはイギリスで教育を受けてから、研究のためにフランスに
渡り、最終的にはアメリカでヨーロッパ研究のための組織を立ち上げ、そこの代表を
つとめていました。ヨーロッパ思想史というか歴史の専門家となります。
 1995年に研究所代表となってからは、ブッシュジュニア政権に対して異をとなえる
こととなったようです。
「開かれた社会にとって、その過去のことをよく知っているということはこの上なく
重要です。左であれ右であれ、二十世紀の閉じられた社会の特徴は、それらが歴史を
操作したということです。過去を不正操作するというのは、知の統御のもっとも古い
やり方です。過去に起こったことについての解釈に支配権をにぎれば(もしくはたん
にそれについての嘘をつくことができれば)、現在と未来はあなたの思うがままにな
るのです。ですから、市民が確実に歴史の知識をそなえているようにすることは、純
粋に民主主義の思慮分別といえるのです。」
 「過去に起こったことについての解釈に支配権をにぎれば」であります。かっこ
書きのなかには「それについての嘘」とあるのですが、とんでもない歴史解釈であり
ましても、歴史を操作する側が、御用学者やすりよるマスコミなどを利用して洗脳を
つづけますと、いつのまにか、それにそまってしまうというのは、あちこちの国で
みられることです。
 「イラク戦争への助走の初期段階」のときに、「一種のディナー討論会」でジャット
さんは、当時、イラク制裁にむけた論陣をはるジャーナリストと対決することとなり
ます。このときのことを、次のように記していました。
「ジュディス・ミラーは軽蔑的かつ頭ごなしのやり方でわたしに反論しました。彼女は
専門家で、わたしは単なるおしゃべりの学者にすぎない、というわけです。・・
それからの討論はいくぶん個人攻撃的なものになりました。・・
 ディナーの後で、わたしのところへやってきて、あなたは正しく、ミラーは危険なま
でにまちがっていると言った唯一の人は、あなたが言ったことはすべて正しく彼女が
言ったことはすべて、ワシントンの公式見解を、政府の御用ジャーナリズムのフィルタ
を通して述べただけのものだ、と。心配なのは、これが有力者たちの集まるディナーの
催しだということです。『ニューヨーク・タイムズ』の重訳、公共テレビの上級プロ
デューサーそのほかの人たちの集まる。そのうちだれひとりとして、わたしを支持する
勇気をもっていませんでした。当時、ミラーはアンタッチャブルな存在だったのです。
その後、それはとつぜんに崩壊して、今度はだれも彼女と話したいとは思わなくなって
しまったのです。」
 ブッシュ政権の『イラク大量破壊兵器が存在する」という主張を正当化するために
活躍したのが、ジュディス・ミラーというジャーナリストの業績といわれています。
この方は、いまはどうなっているのかと思ってしまいました。