堀江さんとギベール 7

 ギベールの「赤い帽子の男」に夏目漱石の「こころ」が印象に残る形で登場するの
でありました。漱石が海外で読まれているというのは、なんとなく不思議な感じがい
たしました。
 ギベールの作品は、短い章をたくさん連ねることによってできておりまして、どこ
で息継ぎをしていいのかなんてことを思わずに接することができます。そういえば、
こうした特長は、ブルース・チャトウィンの作品と共通しているように思います。
 バルテュスとのことやりとりのところを抜き出し、これを短編だといっても、とお
りそうでありますし、それよりもバルティスファンには見逃すことのできないドキュ
メントとなっています。
 ということで、この小説ではバルティスのくだりを楽しんだのですが、この話題で
は堀江さんの「仰向けの言葉」にはたどりつくことができません。
 堀江さんのエッセイにつながるのは、小説の次のくだりです。
「蝋燭を一本手にして、記憶が正しければ父親の柩を載せる台の前後どちらかに佇ん
でいるひとりの子どもの絵に、ぼくは釘づけになった。ヴィゴの倉庫にはたくさんの
ザボロフがあり、いつかご都合のよろしい日にいらっしゃればお見せしますよ、と言
いながら、この画家は現代美術館で回顧展が行われることになってましてね、相場の
方もこのところずいぶん上がっているんです、とすぐさま先手を打って言い含めた。
ザボロフの作品は、絵画に靄をかけて化石にした、古い写真のようだった。まるで絵
画が、写真の思い出を凝結する塵に、あるいは蜘蛛の巣にすぎないかのように。」
 この小説には、参考としてザボロフの「帽子をかぶった少女」という作品が白黒で
掲載されています。小生は、もちろんザボロフという画家のことは、これで見るまで
知りませんでした。