デビッド・ロッジに導かれてブッカー賞の世界をのぞいています。
1988年にロッジさんと一緒にブッカー賞の最終候補作に残っていた中に
ブルース・チャトウィンの「ウッツ男爵」がありました。ということは、こ
の年の候補作には当方なじみの作品が二作もあるということではないですか。
この小説のあとがきは翻訳の池内紀さんが書いていますが、このなかには
ブッカー賞の最終候補となった作品であるとの情報はありませんでした。
やはり熱心なファン以外は受賞しなくては意味がないのかであります。
ちょうど今年にはいったら読んでみましょうと思っていたチャトウィンの
自伝を取り出してきて、そのなかにブッカー賞のことはでてくるのか、まずは
そこだけチェックです。
チャトウィンが「ウッツ男爵」でブッカー賞の最終候補になったのは1988年
で、賞の発表は10月末になりますので、この頃のチャトウィンは病気がかなり
重くなっていて、伝記における話題はウッツ男爵執筆の背景と、それに病気の
ことになり、どこにもブッカー賞とはありません。亡くなったのは翌年1989年
1月18日ですからね。(日本では平成となったのと、同じ1月です。)
それじゃとぱらぱらとめくってみましたら、1980年の長編小説「黒ケ丘の上
で」のところに、ブッカー賞とありました。チャトウィン伝から、そこのとこを
以下に引用です。
「マスクラ-は『黒ケ丘の上で』をブルースのデビュー小説と銘打って刊行した。
『1960年以来、当社が手がけた優秀な書き手の一人である若手の飛び抜けた処
女作と言える』マスクラーはジョナサン・ケープの幹部を焚きつけた。
『これによって、当社は二年連続でブッカー賞に輝くことだろう。』
マスクラーは初版を一万部と定め、発行日をブッカー賞の締切に合わせて9月
30日に繰り下げた。」
結局のところ、この作品は最終候補作にはならなかったのでありますが、
なんとなく賞には興味がなさそうなチャトウィンですが、まわりは色めきたつと
いうのが伝記からもうかがえます。
周りにいた人は「チャトウィンは書評なんてどうでもいいふりをしていたけど
本当は誰が何と言っているか、細大漏らさず知りたくてうずうずしているの。」
だそうです。