堀江さんとギベール 10

 堀江さんと小平林檎園主は、「明るさの神秘」を通じて関係ができ、その後は小平
さんのりんごを購入するようになったとのことです。
 小平さんが、宇佐見英治さんに声をかけたのは1988年5月に東京であったタゴール
会場でのことだそうです。小平さんは水沢から、展覧会を見にくるために上京する人
であります。もともと小平さんは、宇佐見英治さん愛読者であったのですが、宮沢賢
治を尊敬するということでも結ばれることになりました。
 堀江さんは、りんごを購入するごとになって小平林檎園からりんごと一緒に届く通信
を目にするようになったのです。
 「(『子午線を求めて』の)元版ができあがったとき、なにか感ずるところがあった
のだろうか、一部を林檎園主人に謹呈した。すると、多忙な農作業のあいまにじっくり
読み通したうえで、厚い礼状をくださったのだが、最後に添えられていた逸話を読んで
私は思わず声をあげた。彼は1986年の秋、東京のギャラリー・アート・ポイントで開か
れた、日本で初のザボロフ展を観たというのである。・・・1980年代の半ばに、どこを
どうたどれば、岩手県から東京のザボロフ展に足を運ぶことになるのだろう。」
 いったい小平林檎園主のアンテナはどうなっているのかと思うことです。
このあと、2001年くらいになって東京での三回目のザボロフ展が開催されることにな
り、不思議な縁で堀江さんにオープニングセレモニーでスピーチの依頼で、そこで
小平林檎園主とであって、言葉を交わすことになります。
 堀江さんは、ギベールの「赤い帽子の男」を翻訳しなければザボロフに関心をもつ
こともなく、林檎園にりんごを注文しなければ、ザボロフ展でスピーチを依頼される
こともなかったのでありましょう。
 この不思議な出会いが、堀江さんに何をもたらすかは、直接本文にあたってもらう
のが一番であります。