堀江さんとギベール 6

 堀江さんが訳した「赤い帽子の男」であります。
 堀江さんが、この小説の「山場のひとつ」と言っている主人公が、画家バルテュス
にインタビューを試みるくだりを再読です。ほとんど人前にでることがなく、伝説的
な存在であったバルテュスですが、食事をともにすることとなったギベールの質問
攻勢にあい、これに受け答えしたものが、そのあとでル・モンドのスクープ記事と
なるのですから、バルテュスにはたまらない話で、これに猛反発をしたかと思うと
そうでもないのでありました。
 とはいうもののギベールのほうは、後味が良いものではなかったようです。
「ぼくは予定通り、しかし卑怯者としてヴェネチアを後にした。その日、夜行寝台に
乗ることになっていたぼくは、午後、サン・マルコ広場で、時代をまちがえたような
堂々たる夫婦の姿を遠巻きに見かけた。パナマ帽をかぶり、白い背広で身をかためた
バルテュス、日傘に漉された光が、金色の縁取りを添えている添えている白い着物姿
の妻、そして調和のとれた色合いの、軽やかなローブを纏い、鳩を追いかけている娘、
それは、ヴィスコンティが夢見た、母と並び立つ美少年タッジオより、ずっとすばら
しい光景だった。かくも古風な美を前にして、ぼくは自分の下劣なやり口を恥ずかし
く思った。」
 記事が掲載されバルテュスから連絡をもらうのは、かんかんに怒ってのことでは
なく、訂正記事をだしてもらいたいというものでありました。これが日本にかかわる
内容の訂正依頼で、これがまずもって意外感であります。もちろん、ル・モンドは、
この要求に応えたのでありますが、これじゃ不十分ということで、再び訂正の要求と
なります。この依頼の理由がふるっています。
 これを通じて、バルテュスからスイスにある自宅の電話番号を「連絡がとれるよう
にと」教えてもらうことになるわけです。
 ギベールが、バルテュスに連絡をとるのは、ヴェネチアのことがあってから二年後
のことですが、そのときにバルテュスは、思いがけないことをいうわけです。
「だったら家へはお昼を食べに来るといい、言っておくが日本食だよ、生粋の日本人
シェフを雇ってるんでね、日本の料理がお好みだといいんだが。」
バルテュスは、奥様のせいもあって、とっても日本びいきであったということがわか
るのでした。
 そのせいでしょうか、ギベールバルテュスを訪ねるときのことです。
「手荷物はプレゼントとして数冊の本が入った贈答用の包みだけだった。
アーダーベルト・シュティフター『老独身者』、イサーク・バーベリ『初めての原稿
料』、ナツメ・ソウセキ『こころ』。どれも五年後、コルフ島へヤニスの妻のために
持っていった本と同じだ。趣味は相変わらずだったのだ。」
 この三冊というのは、どういう基準で選ばれたものでありましょう。作品名だけが
ならんでいまして、漱石以外は知るところもないのですが、これがギベールの世界
なのでしょう。