足踏み続く 3

 堀江敏幸さんの文章を読むまえに、エルヴェ・ギベールの「赤い帽子の男」を読ん
でしまおうと思いながら、これはゆっくりと前に進んでいます。そんなに長い小説
ではないので、すぐに読むことができそうなのですが、なぜか牛歩です。

赤い帽子の男

赤い帽子の男

 ギベールさんは1955年生まれで、亡くなったのは1991年ですから36歳でした。
ずいぶんと若くして亡くなったのですが、これはHIVが影響していたとのことです。
1988年にHIVと診断され、それからはカミングアウトして、作品にもそのことを記し
ています。
「赤い帽子の男」は、ギベールさんが亡くなった翌92年に刊行されたもので、邦訳は
堀江敏幸さんによって1993年11月に刊行されました。堀江さんにとっては、最初の
訳書ということになりますが、この時29歳でありました。
「赤い帽子の男」の巻末にある堀江さんの紹介の一部です。
「1989年秋から三年半、フランス政府給費留学生としてパリ第三大学博士課程に留学。
二十世紀フランス文学を専攻。」
 ちょうどギベールさんがHIVをカミングアウトして、「ぼくの命を救ってくれな
かった友へ」が刊行され、亡くなった時には、堀江さんはパリにいたことになります。
そして92年にフランスで刊行されたのが「赤い帽子の男」で、帰国までの半年間、
堀江さんはこの作品の翻訳に取り組んでいたということです。
「仰向けの言葉」の最後におかれた文章には、次のようにあります。
「武蔵野のはずれの、不思議なキウイ農園のある町に移り住む前は、土埃ひとつ立た
ない石の街で三年半ほど暮らしていた。最後の半年は、エルヴェ・ギベールという、
若くしてエイズで亡くなった作家の、『赤い帽子の男』と題された遺著を日本語に
移し替える作業に費やされたのだが、画家や画商との関係、市場に出回る贋作をめ
ぐって、虚実ないまぜに展開していく、独特の散文のリズムをできるだけ生かせる
よう、言及された絵描きの作品の細部を現物もしくは画集で確認しながら訳し進め
ていくうち、幾人かの創り手に親近感を抱くようになっていた。」
 堀江さんにとっては、フランス留学の仕上げのような翻訳でありますからして、
力がはいっていないわけがなしです。