図書館に通う 3

 宮田昇さんの「図書館に通う」には、興味深い話があちこちにあります。
特には、当方がそれまであまりなじみのなかった人のエピソードが語られているからで
あります。
 たとえば、赤石正という方という方についてです。
「出版社と図書館の関係について、私の目を開かせてくれたのは赤石正である。1971年
のことだから、いまから四十年も昔の話で、当時日本の公共図書館の総数は、全国合わ
せて八八一館、蔵書数も二八五八万冊にすぎないときであった。・・・
 赤石正は、アメリカの出版社、ハーパー・アンド・ローのトレイド(一般書)部門の
総括責任者(パブリッシャー)を兼ねた副社長であった。ハーパーは、いまはハーパー・
コリンズに変わったが、いまも昔もアメリカを、いや世界を代表する出版社のひとつで
あることに変わりないだろう。
 日系二世でもない日本人が、のちにはその出版社の筆頭副社長にまでなるなど、当時
は考えられないことであった。しかし、赤石が来日したときの日本の出版界の対応は、
冷たいものであった。その閉鎖性と独善性が、いま日本の出版社が直面している諸問題
に影響している気がしていてならない。」
 どうして日本の出版界の対応は冷たかったかです。
「日本の出版会の首脳が、あの時点で、赤石の話を聞くのに冷淡であったのは、広告費
を除けばほとんど営業経費がかからず、一部のマスプロ・マスセールに適している現行
の流通システムの優位を確信していたせいだろう。」
 これに続いて、次のように記されています。
「日米間のちがい、あるいは日本と欧米とのちがいの理由については、前にも触れたこ
とがある。それは、明治以来、昭和の半ばにいたるまで、国は『近代化』のために学校
教育のインフラは急いだが、その表裏一体として存在しなければならない図書館の整備
を怠ったことである。
 まず図書館があって、そこへの書籍販売を通じてある程度の再生産の保証を得るだけ
でなく、読者層をも増やしていく道を、日本の出版社は歩めなかった。出版社は、教育
の普及と中級階級の増大のなかで、ひたすらマスプロ・マスセールに突き進んだ。
そこには、著作物と読者を結ぶものに、書店以外に図書館があることは見失われてい
た。」
 これに続いては、日本の公立図書館と行政の現状に「タダで読ましてやる」という
読者蔑視を感じたとなるのですが、ハーパーの筆頭副社長の赤石さんの、その後につい
てが、この文章の最後におかれています。
「赤石正とは、彼の死ぬ二〇〇七年まで交友をつづけたが、その晩年はけっして恵まれ
たものではなかった。彼をスカウトした日本の出版社のアメリカ法人による不本意
解任にたいする裁判のさなか、胃の手術を受けるなどで、いっとき、心身ともに衰えた
時期があったからである。それもあって、その能力は二度と活かされることはなかっ
た。」
 日本の出版社のアメリカ法人なんて、ほとんど知らないことでありまして、たった
一つ聞いたことがあるのは、日本で最大手の出版社のものですが、そこのことなので
しょうか。
 宮田さんは翻訳権エージェントとして日本と海外が出版社をつないでいた人であっ
たのですが、欧米のやり方がすべていいと思っているわけではないものの、日本の
出版社のありようには疑問を感じていて、赤石さんの挫折に、その矛盾が表出したと
思われたのでしょうか。
 ちなみに赤石さんは、日本で神学大学を卒業してからアメリカに留学し、アメリ
で牧師となってから、宗教書出版社の編集者にスカウトされたという変わり種であり
ました。こういう方がいらしたということがわかっただけでも、この本はありがたい
こと。