本日手にした本 5

 高田宏さんが深瀬基寛さんを「飲み仲間」ということについてであります。
 当方は酒を飲みませんので、酒で失敗をするということがなければ、酒を通じての
友達というのもありません。小説を好んだりするのであれば、酒飲みの気持ちをわか
らなくてはいけないと先輩からいわれたりもしました。
 高田さんの「編集者放浪記」には、「酒と酒場」という一章がさかれているいるくら
いでありますからして、人生から酒をとるとなにが残るかというような時期もあったの
でありましょう。
 高田さんは、学部生のころには居酒屋の常連であったとあります。
「私は京大に入って二年目からは京都市内の左京区に移り、やがて左京区の持っている
気どりのような匂いに嫌気がさして西のほう二条城のちかくの路地長屋に引っ越していた
ので、千本通りあたりで飲むことが多くなっていた。たまたま入った縄のれんの飲み屋で
深瀬教授と会い、そこが深瀬さんの行きつけの店とわかって、よく出入りした。深瀬さん
が私のもぐり聴講をみのがしてくださったのは、飲み仲間としてであった。大学院の講義
では私は前のほうに堂々と坐って、教壇の深瀬さんは講義をはじめる前に私にニヤリと
いたずらっぽい笑いを送ってくる。前の晩一緒に飲んでいたときだと片目でウィンクとい
うこともある。
 熊鷹で飲んでいるときは、父親くらいの年齢の深瀬さんが私を飲み仲間と認めてくだ
さって、私は私で生意気ざかりだったものだから深瀬さんを相手に生硬な議論をふっかけ
たりもしたものだった。あまりの生意気さに深瀬さんが赤くなって怒鳴ったこともあっ
た。
『二十歳そこそこで分かってもらっては困る。白髪になるまで考えろ!
お前は生意気だぞ!』」
 深瀬さんは、仕事を終えてからまっすぐに自宅に戻ることはなかったのではないかと
思われるくらいの酒飲みでありまして、なかでもここにある「熊鷹」はホームグランドと
いっても良い飲み屋で、深瀬さんの書簡にはひんぱんに登場します。
 深瀬さんには「千本かいわい」というエッセイがありまして、ここには次のようにあり
ました。
「時勢のせいで千差万別だが、粋なのみ屋なんていうのはおそらくこのあたりに一軒もな
いことは保証しておく。だいいち粋人などいう人種が文化、文政時代の落し子で鼻持ちが
ならない。のみ屋でかんじんなことは、お酒の味にごまかしがないこと、料理にはせめて
お座敷料理の代用品くらいの味のあること、酒代にごまかしのないこと、店の人情が旧弊
であるこち、この四つである。」
 こうした飲み屋に必要な四つの条件を「熊鷹」はどうクリアしているかといえば、次の
ようであります。
「平均点はどうでもいい落第自慢の天才なら、街角を西に折れて道の半丁も歩いて、例の
オンボロ電車が曲り角でキィーッと悲鳴をあげるあたりに『熊鷹』という古いのみ屋があ
る。第四条件の旧弊の点ではおそらく千本はおろか、京都の第一流といってもよく、落第
覚悟の天才には打ってつけの飲み場処かも知れない。」
 深瀬さんが「落第覚悟の天才には打ってつけの飲み場」といわれた「熊鷹」であります
が、どうやら、ここが高田さんにとっての「私の大学」であったように思えます。