「みすず」7月号

 数日前に「みすず」7月号が届きました。
 原武史さんの連載「日記」が終わって、そのあとはどうなるのだろうかと思ってい
ましたら、斎藤貴男さんの「失われたもの」という連載がスタートしました。
 過去にあっていま姿を消しつつあるものについての文章ですが、その一回目は
「東京都豊島区立竹岡養護学園」となります。
 その文中にあった、斎藤さんの感慨のくだりを引用です、
「長いこと戦争絶対反対を叫び続けた挙げ句、いまやジャーナリズムの世界でもー
だからこそかえって、ということなのかもしれないがーかっての仲間にも疎んじられ、
周囲から浮きまくりつつある気がしてならない私だけれど、こと天皇制の問題につい
ては、どこか腰が引けがちな素因だろうか。もしも間近で会話を交わす機会を得たと
したら、こと竹岡のことに関する限り、大声で『天皇陛下、バンザイ!」と叫んでし
まいたい誘惑に駆られるかもしれない。」
 どうして「天皇陛下、バンザイ」であるかについては、本文を見ていただくしか
ありませんが、「周囲から浮きまくりつつある」という斎藤貴男さんに、連載の声を
かけた「みすず」編集部はえらいこと。
 第一回目に取り上げた「東京都豊島区立竹岡養護学園」というのは、「ぜんそく
肥満、偏食、虚弱に悩む児童の健康回復・増進を目的に設立された全寮制の小学校で、
当時(1967年)は東京二十三区のうち十五前後の区が、房総や伊豆の海岸や高原に
開設していた施設のひとつ」となります。
 斎藤さんは、小学校三年になった四月から五ヶ月ほど、この学園に在籍したので
そうです。
 この豊島区の健康学園は、すでに廃止され、都立で残っているのは、中央区の一
園のみとのことです。次々と廃止となっていったのですが、その過程において、
斎藤さんは反対の立場から関わることになるのです。
 それはさて、いまから30年ほど前に住んでいた目黒区にも健康学園がありまし
たです。子どもたちが通っていた小学校からも、この学園にうつっていた子たちが
いて、その時代には学園の児童数が減少していたからでしょうか、「ぜんそく、肥
満、虚弱」の子どもには、この学園への視察をすすめる声かけが積極的にされてい
ました。豚児もすこしぜんそくのけがありましたので、学園にいってみないかとすす
められたものです。
 結局は施設を見ることもなく終わったのですが、目黒の健康学園は平成21年3月ま
で続いたとのことです。