本日の本

 本日手にしていた本です。

清陰星雨

清陰星雨

 みすず書房から刊行されている中井久夫さんのエッセイ集です。このシリーズは
白いカバーがかかっていて、その真ん中に写真が配置されているのですが、これは
写真がなくて、表紙カバーもちがっています。どうしてなのかなと思いましたら、
これは他のエッセイ集とは異なり、神戸新聞に連載していたものを一冊したもので
あることがわかりました。1990年から2001年までの12年分ですが、三ヶ月に一回の
連載だそうですから、これだけでは一冊には足りないようで、本にするにあたって
サブテクストということで、ほぼ同じくらいの文章が補足で添えられています。
 この本を斜め読みしていたのですが、目についたのは、以下のくだりでありまし
た。(「もう一人の祖父のこと」という文章の加筆されたとこにあったものです。)
「私の世代には故江藤淳氏や山崎正和氏のように父よりも祖父を近しく感じ、同一化
する人が目につく。この『オジイサン・ダイスキ』世代に私も属していることを自覚
し自戒する。それには『自我を補強するために祖父を借りて父を撃つ』という機微が
あるのかもしれない。
 その底には戦時中の母への思慕があるだろう。戦時中の母は育児をしていればよい
という存在では決してなかった。不在の夫に代わって男手となり、さらに食糧、燃料
衣類を調達するために才覚を働かした。」
 中井さんは1934(昭和9)年生まれとなりますので、この頃に生まれた人にはオジイ
サンダイスキという傾向があるのですね。がちがちの明治生まれの祖父とくらべると
大正デモクラシーの影響を受けた父たちはいまいち尊敬できないということでしょう
か。それに加えて「母への思慕」であります。
 最近話題になっている「オジイサンダイスキ」さんも、「母への思慕」がいわれて
いますが、これは「祖父を借りて父を撃つ」ということなのでしょうか。