本日は山猫忌 2

 長谷川四郎さんの命日にちなんで、何かを読みましょうと思い、篠田一士さんの評
にあった「カダラのビール」を読むことにしました。それにしても、篠田さんが毎日
新聞の時評を担当していた7年間で、長谷川四郎さんの作品を取り上げたのは、たった
の一回なのですが、その作品「カダラのビール」は長谷川さんが発表した最後の作品
となりました。
 篠田さんの評に「目くばりのきいた視野のひろさがシベリアのひろびろとした空間、
そこに住む人びとののどかな人間臭さをさらりと浮かび上がらせている」とあったの
ですが、この作品は、長谷川さんによるシベリア再訪の時の見聞をもとにしています。
病床にあった長谷川さんの口述筆記による最後の作品がシベリア再訪をテーマにして
いるとはです。シベリアから戻って発表した作品でデビューし、シベリア再訪の話題
とした作品で幕を閉じた作家生活であります。
 長谷川さんは、1963(昭和38)年7月から8月にかけて大学の夏休みを利用して材木
運搬船のロシア語通訳として乗り込んで、ロシアにわたっていますが、この時は、
シベリアまでいくことはなしでありました。1965(昭和40)年9月には日ソ文学
シンポジウムに参加するため横浜港から『バイカル』でモスクワへとむかっていま
す。その翌年の1966(昭和41)年7月中旬からシベリアを訪れ、ソヴィエト作家同盟
の口利きで、シベリア地域の各地で詩人や作家と出会うことになります。
 同時代のシベリア地方の作家・詩人でありますから、ほとんど日本では知られるこ
となく、長谷川さんが作品のなかで取り上げることがなければ、当方は、この方々の
作品を眼にすることもなかったでしょう。
 「カダラのビール」という小説にまとまるまでに、シベリア再訪での著作には、
次のものがありです。

 これには、材木運搬船に乗船していたときの体験が最初の30ページほどに記されて
いまして、そのあとにつづいて「バイカル」船中での経験が数ページとなっていて、
ここまでが第一章で、第二章からシベリア再訪のことが描かれています。
「シベリア再発見」には、「マゴから帰ってきた私は、その翌年沿海州のナホトカへ
行くこととなったが、こんどはソビエトの客船『バイカル』の船客としてだった。」
とあるのですが、年譜にありますように、『バイカル』にのったのは翌々年のことと
なります。
 「カダラのビール」は、「シベリア再発見」の「バイカル湖のこちらとむこう」に
盛り込まれたエピソードを小説作品と仕立てたものということがわかります。