隔世の感あり 2

 強権的な支配者が、自分たちにとって都合の悪いことをなかったことにしようと情報
操作すると、都合の悪い事実について口にするだけで拘束されたりすることになります。
こうした実例は、かっては世界のあちこちであったことで、この時代においても、なお
みられることです。
 すぐ近くの隣国で、たった67年ほど前に起きたことではありますが、そのことを口に
するのは、長らくタブーであったのでしょう。済州島4・3事件について、国を代表す
る首相が出席して追悼式開催というのは、民主化がすすんでからのことでありますで
しょう。
 別に韓国の最南端の島のことを思わずとも、日本の最南端の島にも不都合な現実は
残っています。先の大戦では、国内でも多くの非戦闘員が爆撃にまきこまれて亡くなっ
ていますが、地上戦に巻き込まれて亡くなったのは、南の島の住民だけでありまして、
敗戦後の占領が、今にも続いているように見えるのが、この島の不幸です。
 金時鐘さんの「朝鮮と日本に生きる」には、1951年大阪で創刊された「朝鮮評論」の
二号までの編集長が金石範さんであったとあります。
「この創刊号に載った朴樋の筆名での短編小説『1949年頃の日誌よりー『死の山』の
一節より』が、まだ公には知らされてもない『四・三事件』の、公衆の面前で撃ち殺さ
れるうら若い女性を描いた作品であったことには、内心ふるえが止まらないほどの驚き
を覚えました。・・・
四・三事件』を背景に繰り展げられた一万枚を超える大河小説『火山島』の萌芽は、
1951年当時早くも、早春の寒空を衝いて双葉をわななかせていたことになります。」