隔世の感あり 3

 金時鐘さんは、1951年に金石範さんが朴樋の筆名で発表した作品を読んで、「内心
ふるえが止まらないほどの驚きを覚えました。」と記しているのは、自らがその渦中
から逃れてきたからでありましょう。
 大阪の朝鮮系の人々のルーツをたどると済州島にいきつく人が多いということを聞い
ております。金時鐘さんは両親は朝鮮半島の人でしたが、仕事で済州島に移り、そこで
金時鐘さんは生まれ、1948年5月に済州島を脱して、大阪に移ってきたとあります。
 金石範さんは、ご両親が済州島で生まれ、大阪に移ってきてから金石範さんは生まれ
たとあります。金石範さんは、戦時中の一時期済州島に住まったことはあるとのこと
ですが、戦後は朝鮮籍のままでありますから、韓国政府とは、ほとんど相容れない関係
となっておりました。
 国内にいる朝鮮系の多くの人たちのルーツは、半島でも日本に近い地域にあるという
のに、済州島四・三事件の影響もあったのでしょうか、国籍を北朝鮮とした方々が
いらして、その人たちは半島や済州島の親戚とあうことができないということになり
ました。
 済州島のご先祖の墓参りをしたければ、国籍をかえろというのが、本国の考え方で
ありまして、これがために国籍を北朝鮮籍から韓国籍へと変えた方も多かったようで
す。
 金石範さんは、その信条から現在にいたるまで北朝鮮籍だそうです。そのために、
「火山島」を連載中も、一度として取材のために済州島を訪問することもかなわずで
ありました。ライフワーク作品を書くためには、取材の必要もあったでしょうが、
がんとして、国籍を変えることはありませんでした。
「火山島」が完結(?)したときに、金石範さんは、あとすこしで済州島という
ところまで船で近づいて、上陸することはなしに島影を見ただけで、日本に戻ってきた
ということが報道されていました。
 そして、今回の「第一回済州4・3平和賞」受賞です。
新聞によりますと、この賞は「済州4・3平和財団」というところが作った平和賞なの
だそうです。金石範さんがこれの授賞式にでるというのは、これまでであれば不可能な
ことであります。
 4月4日の朝日新聞朝刊にある「ひと」の記事からです。
「民族統一への強い思いから韓国籍をとっていないため、受賞の報に耳を疑った。
1日に済州島であった授賞式では『私は言わば無国籍者。その人間が今日、故郷の土を
踏んで立っている』と声を震わせた。」
 金石範さんが済州島に住んでいたのは、戦時中の一時期だけですが、1951年から
ずーっと「四・三事件」にこだわっていたことになります。まさか、生きているうちに
済州島に入ることができるとは思ってもみなかったことでしょう。
 この記事を目にしましたら、これは「火山島」の読書を再開しなくてはいけないと
思うにいたりました。本日のお昼過ぎからしばらく中断していた本を手にしたのです
が、四巻目の半ばから読み継ぐことといたします。

火山島〈4〉

火山島〈4〉