追悼 赤瀬川原平さん 4

 赤瀬川さんというと、当方にとっては松田哲夫さんとセットであたまに浮かんでくると
いうほど、馬おじさんと泰平小僧の印象は強いのでありました。
 松田哲夫さんの最新刊「縁もたけなわ」にも、当然に赤瀬川さんは取り上げられていま
す。

 松田さんは、赤瀬川さんと出会わなくても編集者にはなっていたと思いますが、今の
ような存在となっていたかどうかはわかりません。もちろん赤瀬川さんにとっても同じ
ことでありまして、このような出会いというのは、運命的ともいえるものです。
 赤瀬川さんのもので、当方が最後に楽しんだのは「ちくま」に連載されていたもので、
のちに「老人力」としてまとまったものです。これの連載当時に、知人にこの連載は、
面白いと吹聴したのでありますが、「老人力」があれほどにヒットするとは思っても
みませんでした。(松田さんは、「ぼくの編集者生活最大のベストセラー」と書いていま
す。」)
「縁もたけなわ」の赤瀬川さんについての文章の最後におかれているくだりです。
「(「老人力」が刊行されてから)十数年の歳月が経ち、ぼくたちは六十代半ばになっ
た。赤瀬川さんは七十代半ばだが、ここ数年、胃ガンや脳出血と立て続けに大病に見舞
われた。
でも最近のインタビューを読むと『病気という名前の人間みないなものが、ときどき交際
を求めてくる。好きな人じゃないからお断りしたいものの、そうもいかず・・』と答えて
いる。『トマソン』『老人力』のように、一見ネガティブなものをユーモアでくるんで
裏返す。そういう名人芸は、まだまだ健在のようである。」
 この文章が発表されたのは、2012年から13年にかけてのものでありますから、2010
年代は闘病が続いていたですね。それにしても、最近の高齢化社会にあって、赤瀬川さん
はずいぶんと若いというふうに思います。文字通り赤瀬川翁というネーミングが似合う
年格好となるまで活躍をしてもらいたかったものです。