先日は、赤瀬川原平さんの訃報を目にして驚きました。最近は、あまり名前を聞く
ことはなくなっていたなとは思っておりましたが、亡くなるようなことになっている
とは思ってもいませんでした。
拙ブログのあちこちで、赤瀬川原平さんを話題にしていますが、やはり当方も影響
を受けていると思った次第であります。
当方にとっての赤瀬川さんであります。
・「現代詩手帖」の表紙 70年頃のもの。
ちょうどこの頃に、京都書院四条店で赤瀬川さんの展示がありました。古い手帖
を見ましたら日付は特定できるでしょうが、あれがどのようなタイトルのもので
あったのかわかっておりません。
今はもうない京都書院については同じ時期に京都で学生生活を送っていた
間村俊一さんが文章を発表していて、それを拙ブログでも引用しておりました。
( http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/2007060 )
京都書院の展示場は、そんなに大きいことはなかったはずですが、そこに当時の
赤瀬川さんの活動を伝えるものがありました。その当時は前衛芸術家でありまして
一番有名であったのは「一家に一枚零円札」でした。ちょうどその頃に贋千円札
というのが問題となって、赤瀬川さんもそれで起訴されたはずです。
この展示で一番印象深いのは、「現代詩手帖」の表紙に小さな文字で見えない
ように隠されていた文言でありました。ぐっと目を寄せなくてはみることができな
くなっていましたが、こんな言葉が隠れていたのかと思いました。
もちろん、この展示には、馬おじさんと泰平小僧も登場しました。
60年から70年代の赤瀬川さんは、おさわがせの人であったのですね。
・ 桜画報 朝日ジャーナル
赤瀬川さんは、お騒がせの人でありますから、朝日ジャーナルなども乗っ取って
しまったのですね。朝日ジャーナルこそいい迷惑であったのかもしれませんが、
桜画報は、単行本となるたびに購入をしていましたが、いまはどこにはいっている
のか、数ヶ月前に、新潮文庫を話題とした時、取り上げたことがありました。