金井美恵子さんの「お勝手太平記」を手にしていましたら、谷崎潤一郎の作品が読み
たくなります。
たとえば、次のようにです。(これは書簡体小説で、何本目かの書簡にあるくだり。)
「嫁にすっかり依存して、後を追っかけて付いてまわる老人って、多いらしいわよ。
昔だったら、『瘋癲老人』と言ったところでしょうけど、そういう性的ものはないみた
いなのよね。そうだ、関係ないんだけど、久しぶりに今夜は谷崎の『瘋癲老人日記』を
読み返します。」
こんなふうに書かれているのを見ただけで、谷崎作品を読んでみたくなります。
そういえば「瘋癲老人日記」なんてまだ読んだことがないので、これを機会に読んでみ
ましょうかと思ったとき、すぐ取り出せるところに谷崎全集があるというのはいいなで
あります。そう思って購入したのが「新書版谷崎全集」です。
新書版に二段組みの活字がびっしりとつまっています。さてさて、「瘋癲老人日記」は
どの巻に入っているかなと全三十巻をあたってみたのですが、あれっ見あたらないです。
そんなことってあるかですが、この新書版全集が刊行となったのは1959(昭和34)年
で、「瘋癲老人日記」が発表されたのは、1961(昭和36)年でありますから、これは
収録されていなくて当然であります。
大谷崎は、何度も中央公論社から全集をだしているのですが、大谷崎の「私の貧乏物
語」には、次のように書いています。
「ここ数年来の私は、平均年に一回ぐらいは、百枚乃至百五十枚程度の創作を書くよう
になった。けれども、それでもまだ借金が残るところから、苦し紛れにいろいろの手段を
講ずるのである。われわれに取って、何と言っても一番望ましいことは本が沢山売れて
くれること、即ち印税が入ることで、これは原稿料と違い、働かないで儲かるのである
から、わたしのような怠け者にはこれほどうまい話はないので、一度出版したものを、
装幀を変え、定価を変え、出版書肆を変え、廉価版、或いは豪華版などと名目を変えて
二度も三度も出版する。・・・・これらは書肆の勧誘に依る場合蛾多く、必ずしも
作者が計画sるうのではないが、そうして必ずしも金儲けのためばかりではないが、
しかし今もいうような事情がなかったら、出したくないと思うことも度々ある。」
これは1935(昭和10)年に発表したものです。贅沢をした人には、した人なりの
苦労というものがあるのですね。一番最初の谷崎全集というのは、何時頃にでたので
ありましょうね。