西游日録 2

 本日も石川淳の「西游日録」であります。いまから40年近くもまえに一度読んだきり
で、その後限定千部の元版を、えいやっと購入したのですが、ひさしぶりにこの限定反
を手にして、ページを開いています。限定本でありまして、古本ではありましたが、
それなりの値段のものでしたので、書架の比較的良い場所に鎮座していたものでありま
す。
 1964年8月、旧ソ連の文学者同盟からの招待でロシアとフランスを旅した記録です。
東京オリンピックの開幕直前でありますが、この時期の東京にはいたくないというの
が、この旅行に参加した理由の一つであるようです。
 横濱から船でナホトカへといき、そこからハバロフスクへと移動して、飛行機で
モスクワであります。モスクワへ着いたのは4日後のことになります。そのときの印象
です。
「あるアメリカ人がモスクワに着いたとたんこの国は五十年遅れてゐるといったそうで
ある。・・たったいま飛行機からおりたばかりのわたしには、なにが遅れてゐるのか
進んでゐるのか見当がつかない。ただこの牛と森とは気に入った。これにくらべて、
わが狭小な危険な羽田はどうだろう。しかも、羽田は東京にたった一つ。モスクワには
他にも広大な空港がいくつかあるという。ロシアは広く日本は狭いといふ地理上の計算
は文明上のいひわけにはならない。わたしは川と池と掘割とにゆたかな江戸の切絵図を
ひろげて見るたびに、今日の東京から流水がうばわれたことをなげく。その江戸ですら
府内に諸国の農村からひとがあつまりすぎたことを、つとに荻生徂来がとがめてゐる。
土地の割振から見て、今日の東京はあきらかにむかしの東京よりも遅れてゐるといふ
ほかない。かの流水がうばはれたことと、羽田が人家の屋根のあひだにうごめいてゐる
こととは、かならずしも無関係ではないだろう。」
 東京が様変わりをしたのは、大震災と戦争というよりも、東京オリンピックによる
開発であるといわれています。その一番は高速道路網の整備で、目立つのは川や運河
という流水の上に建設されたものです。これにより日本橋などは、見る影もなくなった
といわれます。
 羽田にかわる空港をということで、千葉を候補地に計画が具体化したのは、ちょうど
この時期のことになります。