西游日録

 石川淳の「西游日録」というのは旅行記なのですが、「日録」とあることから、ほぼ
日記と考えてもよろしいでしょう。
 これの昭和40(1965)に刊行された元版は、限定千部で一時期はかなりの値段がつい
ていたものですが、最近はずいぶんと値が下がっているようです。これなら気軽におす
すめができるものです。いまから50年まえの本は、本当に本らしいつくりになっていま
す。( 最初に読んだ筑摩の文学全集は、なんという名称であったでしょう。たしか
『日本文学全集52 石川淳集』筑摩書房 1970 のはずです。こちらでありましたら、
とんでもない安価で読むことができるようです。)
 「西游日録」の書き出しは、次のようになります。
「1964年8月27日(木) 午前十一時三十分、横濱よりオルジョニキーゼ号にて出発。
安部公房江川卓木村浩、わたしとかぞへて同行四人。これはソヴィエト・
ライターズ・ユニオンの招待を受けて立った旅である。木村君と江川君とはロシア語に
堪能のひとだから、道中ことばの苦労はない。行程はまずロシアで三週間、それから
東独とチェコとをめぐって何日か、あとはパリにわたしひとりすくなくとも十月末まで
はかへらないつもりでゐた。十月末はすなはち東京オリンピックのをはったのちであ
る。オリンピックの東京といふ逆上ぶりを見ないですませるためには、ちょうどわたり
に船であった。この船の名のオルジョニキーゼは現在コーカサスの地名、もとむかしの
英雄の名をとったものと聞く。」
 もとは正字旧仮名であります。当方の環境では入力するのに、時間がかかりすぎま
すので、旧仮名で正字は新字としています。そもそも「西游」と表記するだけでも
一苦労であります。
 この時、石川淳さんは65歳でありまして、初めての外遊であったようです。
 それにしても、「オリンピックの東京といふ逆上ぶりを見ないですませる」であり
まして、東京オリンピックの時期に留守にするというのが、夷斎先生らしいことです。