西游日録 3

本日も石川淳さんの「西游日録」からであります。
 ちょうど50年前のことであります。1964年9月21日の「日録」からです。
「ベルリン着。時差に依って、時計の針を二時間おくらせる。ざっと正午ごろである。
さて、飛行機の内にも外に出むかへらしいひとはさっぱり見あたらない。・・・
ちなみに、この地は謂ふところの東ベルリンである。西ベルリンのはうではみづから
西と称して気にしないやうだが、こちらの東側では東といふことばをきらって、冠す
るにデモクラティックをもってする。すなはち民主ベルリンと呼ぶ。」
 第二次大戦後、ドイツは連合国によって東と西にわけて統治されるのですが、さら
にややこしいことには、首都であったベルリンが市を分けて支配されることになりで
す。東(デモクラティック)というのは、そのうちソ連が支配した地域となります。
ベルリンには市を分断する壁が設けられて、自由な通行はできなくなっていました。
 9月22日の日録です。
「ちなみに、壁のへだてはあっても、東西の通ひ路がまったく絶たれてゐたわけでも
ないといふ。東側の旅行者は、もし欲すれば、車で市外に出て、街道をぐるりとま
はって行くと、そこにも関所があることはあるが、それを越えて西側にはひれる。
ただし、その日いっぱいだけ。夜の十二時の門限までにはこちらにかへって来なくて
はならない。この門限におくれると、事めんだうになる。わたしは実験していない
から知らない。西側にはひるといふことがすでにいささかの覚悟を要することだろう。
しかるに、西側のはうでは、旅行者が東側に行ってみたいといふと、条件は同じにし
ても、さあどうぞ、どうぞとすすめかねないさうである。」
 当方は、ずいぶんと後になるまでベルリン市が東と西に分断されていることを知ら
ずでありました。へえーそんなことも知らないのと言われたことを思いだします。
 戦争によって分断国家となったうち、ドイツ、ベトナムはすでに統一がなされ、
残るは朝鮮半島の二国のみでしょうか。そうこうしているうちに、一つの国家の
形態をとっていた国が多くの国に分かれてしまう事態になりました。