僕の人生であるか

 本日は図書館から借りている「カタルーニャ語 小さなことば 僕の人生」を

走り読みすることになりです。

 この本のあとがきで、田澤さんは末期がんのために余命いくばくもないと記して

あったのですが、なんとかこの本を書き上げることができたとありました。そのあ

とがきが書かれてから何ヶ月もしないでお亡くなりになったのですから、まさに残

された時間との勝負でありました。

 田澤さんは大学を卒業してから当時の東京銀行に勤務して、行内の選抜に通って

スペイン語の語学研修に派遣され、それが機となって、語学の専門家を志して、銀

行を退職し、外国語大学大学院に入学するという転身をするのでした。

 今は無くなってしまった東京銀行ですが、当方の世代にとっては外国為替を得意

とする銀行で、外国に強いという有力銀行の一つでした。行員で一番有名であった

のは、パリ支店に勤務していた窪田啓作さんでありまして、いまも流通している

カミュの「異邦人」の翻訳者で、フランスへと留学した文学者たちは、ほぼ皆が

世話になったのではないでしょうか。

「九月二十九日(火)。晴。午前中、フォープール・サントノレなる東京銀行支店に

窪田啓作君を訪ふ。旅行者チェックをフランに換へる。二百ドルにて九百七十フラン。

わたしは東京出発以来髪を刈ったことがなかったので、ちかくの床屋まで窪田君に

案内してもらふ。」

 上に引用したのは石川淳「西游日録」でありまして、日付は1964年であります。

まだまだ海外にわたるのは大変なことでしたが、そんな時に東京銀行はある人達には

大使館以上に心強い存在でありましたね。

 田澤さんが東京銀行に就職したのは1970年代の半ばくらいですが、東京銀行

ブランドは、海外にでている日本人にとっては、まだまだ存在感がありましたで

しょう。

 ところが、田澤さんは銀行員としての出世よりも、じぶんの語学への興味を優先

してあっさりと銀行を辞めるのですから、なかなかこれはできることではないこと

です。

 しかも、なんとかそれを軌道にのせて、カタルーニャ語の専門家になるのですか

ら、これは興味深いことであり。