国内「亡命」者

 萩原延壽さんについて、坪内祐三さんは国内「亡命』者といっているのでありますが、
これは、萩原さんの文章にある、いいまわしを借用したものであります。
 萩原さんの文章にあるくだりは、次のようになります。
「私は、かねがね、近代日本の思想の歴史において、まだ空白のまま残されている一章
がある、と考えている。それは『亡命』という章である。『亡命』というとき、その
もっとも典型的な例である国外『亡命』の場合ばかりでなく、国内『亡命』と名付けて
もよい精神の在り方についても、考察を加える必要がある。」
 戦前の東京浅草で生まれ、日本の大学を終えてから海外留学へとでて、戻ってからは
大学の教師にもならず、フリーの政治学者として著作を続けるのですが、そのスタイルは
「声低く語れ」であります。
 今から20数年前、湾岸戦争終了直後に書かれた萩原さんの文章の一部を坪内さんが紹
介しています。
「現憲法の擁護をつよく主張してきた革新勢力の側から、自衛隊の役割を専守防衛と、
国連軍の参加とに厳密に限定して認める憲法改正案が提出されないものであろうか。
こういう手続きをふんでこそ、国家としての日本は威厳と品位をとりもどせるのではない
かと思うが、どうであろうか。
 (中略)
 日本は敗戦と、それにつづく冷戦構造の世界の中で、終始『受益者』の立場をとりつづ
ける好運にめぐまれたといってよい。しかし、個人の場合がそうであるように、『受益
者』の立場に徹することは、往々にして自己中心という精神の荒廃を招くおそれがある。
『受益者』として享受した好運を他者、すなわり、国際社会に還元する時期が来ているの
ではあるまいか。」
 健全な保守ということがいわれていますが、当たり前のことを当たり前に論じることの
重要さであります。「国家としての日本は威厳と品位をとりもどせる」というのは、今の
首相がいかにもよろこびそうないいまわしですが、思慮の深さと、ハラの据わりに天と地
ほどの違いがあるようです。