追悼 松山俊太郎さん 12

 松山俊太郎さんの追悼をこめて、これまで積読でありました「綺想礼讃」をとりだして
きて手にしています。
 種村季弘さんが松山さんは「『蓮』という語のでてくる章句を手当り次第抜いてカード
を作る」ということをしていると書いていましたが、「綺想礼讃」に収録の「宮沢賢治
蓮 覚書」は、カード作りの過程で生まれたものであります。
宮沢賢治は、植物学に精通し、『妙法蓮華経』の篤信者であり、『蓮』と縁の深い仏教
全般の知識も並々でなかったから、その業績に『蓮』への言及があることは当然予想され
た。」
 ということで、大学からの友人である阿部良雄さんから譲ってもらった最初の筑摩版
宮沢賢治全集」で調べはじめるわけです。
「ハスースイレン」の記述は案外少く、原稿用紙十枚分ほどと思われた。
 そこで今回、二十枚で『宮沢賢治と蓮』をまとめるつもりで、阿部から『校本・宮沢
賢治全集』(既刊分十四冊)を借り、抜き書きにとりかかると、いつまでたっても終わら
なくなってしまった。最小限の摘記でも、第十二巻(下)までで『35×33字』の特製用
紙に四十枚となったから、作業が完了すれば六十枚に達する見込みである。これは『四百
字づめ』なら百五十枚に相当し、注釈を加えれば優に単行本となる分量である。
 つまり、初期のいわゆる全集とくらべて、『校本・全集』は、作品・資料・校異を合わ
せた規模は三倍くらいであって、それらの相互関連が格段に明瞭にされているので、実際
には幾何級数的に十倍の情報を提供するのである。これによって、さらに、理解の質も
飛躍するはずであるから、全くドエライことをしてくれたものだ。
 筆者には、目下、到底これだけのデータを駆使する能力も余裕もなし、本稿では、抜き
書きの途中で気付いた事実に対する管見を、『覚書』として列挙するにとどめたい。」
 これが「はじめに」という書き出し部分で、ここまでは理解するに難しくはありませ
ん。
 ここから先に一歩すすみますと、「梵語の世界」であります。
 宮沢賢治が「春と修羅」にあわせて五回挿入している「呪文めいた片仮名」である
「ナモサダルマプフンダリカサスートラ」についての考察からであります。
「これによって『南無妙法蓮華経』というお題目の梵語原音を写したつもりであることは
明らかである。ところが、この試みは失敗であるばかりが、唱題の歴史についての無知を
露呈している。」
 ということで、宮沢賢治法華経理解を専門家として検証するのであります。なるほど
なと思うところもありですが、多くはトリビアでありまして、よほどの人でなくてはつい
ていくことのできないことであります。
 文筆家としての松山さんは、ほとんど読み手にサービス精神を発揮するようなことは、
なくどこまでも自分のスタイルを貫いたようです。多くは「覚書」のままで、構想のごく
一部が発表されたのみです。こういう生き方をした人がいたということを忘れないように
しましょう。
 それにしても蔵書一代とすると、松山さんの貴重な蔵書はどのような運命をたどるので
ありましょう。