追悼 松山俊太郎さん 4

 当方など松山俊太郎さんの著作になじんでいるわけでもないのに、ただただ気になる
人というだけで、追悼なんて記するのは烏滸がましいもいいところであります。
 こういう人がいたというのは、もっと知られてもよろしいと思います。あまり有名に
なることは望まなかったのかもしれませんが。
 引き続きで、「綺想礼讃」栞にある吉村明彦さんの文章にあるものからです。
 吉村さんは、次の著作をあげています。
 

食物漫遊記 (1981年)

食物漫遊記 (1981年)

 いまはちくま文庫で入手が可能となっていますが、上のリンクは元版となります。
この本の第一章が「絶対の探求 岡山の焼鳥」となっていまして、これに松山さんが
登場します。種村さんと松山さんの話でありますからして、どこまでがほんとで、
どこが思い込みであるのかです。
 この「絶対の探求」のはじめにでてくる逸話は、いまも記憶に残っているのであり
ますが、これが松山俊太郎さんをめぐってのこととは、まったく忘れておりました。
「銭腹巻の一件なんかがいい例である。そういうものを私は確かに見たことがあると
思っているのに、目撃現場にいた友人はそんなものはありはしないと言って互いに
一歩も譲らず、そのまま三十年程の間、決着がつかない論争が続いている。それも
UFOなどというモダンなものではなく、私見たのはへんに土俗的な呪物めいた物体だ。
 相手は学生時代の友人松山俊太郎、大学生になったばかりの昭和二十六年頃の出来
事である。
 そもそもの事の起りは、松山俊太郎が風邪を引いたのである。教室でよく顔をあわ
せる仲なので、気になってお見舞いに行った。」
 松山さんは、医者の家系でありまして、両親ともに産婦人科医だそうです。
自宅は東京 麻布一の橋にあったとあります。
「二十畳はありそうな部屋に布団を敷いて松山が寝ていた。
『鬼の霍乱だな。大丈夫か、オイ。」
 高熱と見えて、顔を茹で鮹のように真っ赤にしてフウフウ肩で息をしている。
『こんなものメじゃないね。こっちには銭腹巻ってものがある』
 そう言うと松山は掛け布団をパッとハイでみせた。真冬だというのにパンツ一丁の
素裸で、それだけなら別に驚くことはないが、その腹から胸のあたりにかけて蛇の
ようなものがぐるぐると巻きついている。よく見ると、その金属製腹巻のようなもの
は、中の穴に紐を通した、無数の五円玉の連りで出来ていて、それが病人の胴体に
ラオコーンの蛇さながらに絡みついているのである。なるほど、五円玉は黄銅貨だ
から熱伝導率が高い。これで身体中の熱を吸い取るとはさすがに医家の血筋だけの
ことはある。すっかり感心して見とれていると、相手は得意気に銭腹巻をジャラ
ジャラ弄びながら、
『家じゃお祖母さんの代から風邪にはコレと決まってるんだ。すぐに熱で温っちゃ
うから、替えも用意してある。ホラ』
 指差す方を見ると、どうしていままで気がつかなかったのだろう、部屋中の柱と
いわず欄間といわず、五円玉を串刺しにした棒状の銭腹巻が何十本となく、氷柱の
ようにぶら下がっているではないか。青銅の吹いた五円玉の金が緑金に光って、
いかにも頼もしげな、ずっしりとした万能医療器具の貫禄を醸し出している。」
 いかにも、松山俊太郎さんらしい逸話でありまして、こういうのは坊主頭で浴衣
の着流しがトレードマークの松山さんなら不思議ではないと思えるのがよろしい
ことであります。
 この銭腹巻というのはインパクトがありますね。そんなわけないだろうという
人は、種村、松山、澁澤の世界に縁のない人でありますね。