松山さんによる「偏執の域にまで達した本文校定」と、渡辺一考さんの文にありまし
たが、この「本文校定」のルールが、教養文庫版「小栗虫太郎傑作選」の第三巻に掲載
されています。この三巻「青い鷺」が一回目の配本でありました。
「『小栗虫太郎傑作選』校定通則」を引用してみましょう。
「 一、 作者在世時の 1『初出誌』 2『初版本』 3『重版本』から最良と判断
されるものを『底本』に選定し、他の全てと対校して『本文』(テキスト)を決定
する。作者没後の刊本は参照するにとどめる。(『自筆原稿』のほとんどは、盗難
により紛失しているので、対校できない。)
二、主要な『改訂・増補・(削除)』を『校異』(一)として『二十世紀鉄仮面』
についてのみ収録した。
三、諸本間の『同字異訓』『同訓異字』は、主要なものを、『校異』(二)として
『二十世紀鉄仮面』についてのみ注記した。
四、論理的判断により対校の結果を無視した場合は、『補正』として『二十世紀
鉄仮面』についてのみ注記した。
五、『誤植」の訂正は、注記しない。
六、『旧字・旧仮名遣』を『新字・新かなづかい』に改める。ただし、『送り仮名』
は、難読のものをのぞき、『底本』のままとする。
七、漢字書きの『代名詞・副詞・形容詞・動詞』で、多用され、かつ仮名書きにし
ても意味の明白なものは、適宜『仮名』に改める。
八、『振仮名(ルビ)は、必要十分な程度まで削減する。
九、以上のごとく、『読みやすさ』を図って、原文をいくつかの点で改変するが、
およぶ限り『原形復元』へのてがかりを残し、作者の生前没後を通じて最初の、
『正確に音読しうる本文』を決定するため努力する。」
このあとに、「二十世紀鉄仮面」校定の実際が続きます。それをすこしみてみます。
A として「『本文』の種類と性質」があります。
「『二十世紀鉄仮面』は、これまで五回活字に組まれており、内容上、相互に差異が
ある。・・・以上の五種の中、3、4、5は、いずれも2を『底本』としているが、1
との対校を徹底的には行っていなので、2で生じた誤植が十分に正されていない。
一例をあげれば、『巴旦杏通り(リュー・デ・ザマンディエ)』という通りの名は、
2で『巴里杏通り』と誤植され、345がこれを踏襲し、しかも、4 5は『振仮名』を
除いているから、何と読んでよいか判らないものになってしまった。」
このあとは、またしかもと続きます。
「しかも、これは、『巴旦杏通り』と直しても、『はたんきょう通り』と読ませたので
は、誤解をまねくおそれがある。すなわち、『巴旦杏』は、『和漢三才図会』に『あめん
とう』と注されるように、古くは『仁』を食べる『アマンド(仏)・アーモンド(英)・
扁桃』のことであったが、まもなく『果肉』を食べる『李(すもも)の一種の呼称に変
わってしまったのである。しかも、この『巴旦杏通り』は、パリ二十区に実在する
『通り』をしのぶ命名であるから、その街路樹が『アマンディエ(扁桃の木)である
ことを示すためにも、『リュー・デ・ザマンディエ』というルビが必要なのである。」
一例をあげれば、というだけでこうでありますからして、一編の小説全体ではどういう
ことになるのかであります。和漢洋に関する膨大な学殖をベースに吟味していくわけです
からこれは時間のかかる作業です。