世間の人 14

 鬼海さんは、福田定良さんのことを我がグルと記しています。
 鬼海さんが写真家としてデビューするきっかけをつくったのは、福田定良さんで
あったとあります。
 写真家になろうと決めて、当時のプロの写真家をまねて撮影をしていたのですが、
「ある時、突然に、自分の撮ったものには何も写っていないことに気づかされて唖然
とした。誰でもシャッターを押せば写るはずの写真が、表現としては実に滅多に写ら
ないのだと思い知らされた。」のですね。
 このことがあったので、「少しだけ写真家になったのだと今では思っている。」と
ありまして、苦しい修業時期にはいるわけです。
 このあと、遠洋マグロ船の甲板見習いとして8ヶ月の漁師仕事を経験し、漁の合間に
とった数枚の写真がカメラ雑誌に掲載ということになったそうです。
 このカメラ雑誌への掲載へのきっかけをつくってくれたのも福田さんであったと
あります。
「福田先生に引き合わされた編集者は、亡くなった今も伝説になっている、山岸章二
さん。」
 この編集者の紹介により写真家修業がはじまるのでありました。修行中には公募展
で特選になって、早く修業をおえて写真家として独立したいと思ったそうですが、
そのときも、先生のアドバイスが生きたとあります。
「恩師は、体で覚える技術は、習得したと思う期間の何倍かかけることで静かに身に
付くものがあるのだとぼそっと教えてくれた。その時はその意味が解らなかったが
我がグルのことばなので従った。やはり大事な真理は、ゆるやかに時間をかけて溶け
る。今では先生のことばがありがたかったと思っている。」
 大学にはいって出会い、師弟関係は、その後三十六年にわたって続いたといいます。
 鬼海さんによる「福田先生とわたし」をもうすこし読んでみたくなっています。