本の雑誌 4月号 2

 大井潤太郎さんの連載コラム「薔薇の木に薔薇の花咲く」、今月号は「目白みたいに
ぷうとふくれて」という題であります。町の本屋さんの現状についてのコラムなので
すが、「雑誌はコンビニ、スーパーに奪われ、書籍はアマゾン、メガストアに客を奪わ
れ、配達を望むお宅も事業所も少なくなった。いきおい町の書店は開店休業状態である。
・・・百鬼園先生じゃないが、書店主は店先で、目白みたいにぷうとふくれているしか
やることがない。」とあります。
 ここで百鬼園先生が登場するかな。この「目白みたいに」というくだりは、百鬼園
先生の文章のどこかにあるのでしょうが、そういえば、百鬼園先生は目白をかっていら
したことを思いだしました。戦後まもなくに粗末な服に前掛けをして正座して小鳥に
えさをやっているような写真を見た記憶があります。あれはかって旺文社からでていた
百鬼園写真帖にあったものだろうか。( 旺文社の百鬼園先生のシリーズは、装丁が
田村義也さんで、すばらしい。)

百鬼園写真帖

百鬼園写真帖

 町の本屋さんには、次のようなこともありです。
「十年前、伊藤くんの掛売は十二万円を越していた。人のいいのがとりえの母が、いつ
でもいいからねと言い続けた結果である。その内訳は週刊百科の残金で、千三百九十円
が百冊なら十三万九千円。本屋というのはアコギな商売だなと、と店を引き継いだ私は
思ったものだ。その伊藤くんが昨年暮れに、最後の一万五千円を入れてくれた。見事
完済である。こういうことがあるから商売はやめられない。」
 昔はクレジットカードなんて気のきいたものは一般にはなかったから、掛売りという
のは、特別なことではなかったことです。給料日に職場に掛売りの代金を回収に商店や
飲み屋関係がくるなんて珍しいことではなかった。当方は、掛売で配達してもらった
本の代金は、その月のうち支払うこととしていました。めったに月の払いは5千円を超え
ることはなかったのですが、そういう意味では、昔の書店というのはありがたい存在で
ありました。