吉野葛 4

 谷崎潤一郎作「吉野葛」について、花田清輝さんは「南朝の子孫である自天王という
人物を主人公にした歴史小説をかくつもりで、いろいろと文献をあさったあげく、
実地踏査のために吉野川をさかのぼり、わざわざ、主人公の住んでいた大台ケ原山の
山奥まででかけていった作者が、流域の風物をながめながら、回想にふけっているうち
に、いつのまにか、かんじんの自天王の話のほうはあきらめてしまい、その地方の出身
者である、友だちの死んだ母親の話に熱中しはじめる。」と評しています。
吉野葛」が収録されている学藝書林「日本的なるものをめぐって」の解説を担当して
いる広末保さんは、この作品について次のように書いています。
「葛の葉の子別れの伝承と記憶が基調音となってこの物語は語られていき、吉野の秘境
や熟柿の秋もまた読むものを楽しませるが、しかし『葛の葉』に託された母と子の
えにしは、母の血筋の娘をたずねあて上方商人の奥まった生活のなかに迎えいれると
いう、『親密な共同生活』へのよりかかりによって閉じられ、近代における母と子の、
あるいは子どもとその妻の関係に突きささってくるということもない。われわれは
読後、『吉野葛』から離れて、ふたたび『葛の葉』の郷愁の行方を追い求めるほかない
のである。」
 「吉野葛」というのは、この解説にあるように「子別れの伝承と記憶が基調音」と
して読むのが一般的な読み方でありますね。花田さんのように、どこまでも本来書かれ
たかもしれない歴史小説の片鱗を追い求めるというのは、本来の道をはずれているので
ありましょう。そういいながらも、花田清輝さんは次のように書いているのであります。
谷崎潤一郎は、もしかすると、自天王や忠義王を生んだ甲賀出身の山邨姫について
かく代りに、吉野川のほとりでうまれた、友だちの死んだ母親についてかいたかもしれ
ないのだ。・・・
 かれらの在世中には、ほとんど彼女は目立たない影の薄い存在にすぎなかった。かの
女が、にわかに脚光をあびるようになったのは、男たちの死後、三の公谷の女主人公と
して、ひとりで神璽をまもっていかなければならなくなってからのことである。」
「山邨姫」という人物は、谷崎作品に登場していただろうか。
 谷崎の「吉野葛」には、この歴史小説の題材として、次のものが記録されています。
「 南朝  花の吉野  山奥の神秘境  十八歳に成り給ふうら若き自天王 
  楠二郎正秀  岩窟の奥に隠されたる神璽 雪中より血を噴きあげる王の御首 」