7月はバラの月 3

 本日は久しぶりでお天気がよろしとなりました。このお天気を逃す手はなしで、
最近人気の庭園へと足を運びました。英国人の庭園デザイナーが作られたとのことで、
写真で切り取ると、よその国のようであります。

 この庭園では、この時期「バラ祭り」というイベントをやっているのですが、本日
は平日ですから、特別なゲストを呼んでの企画はやっていませんでしたが、たくさん
のバラを目にすることができて、眼福の一日でした。
 バラは、本当にたくさんの樹がありまして、よほど有名なものでありましたら、
見分けがつくかもしれませんが、すこし違うが、同じような雰囲気のバラというのは、
ほとんど見分けがつきません。
 気に入った花がありましたら、これは自分のところで育てることはできないかと、
育てる場所もないのに、バラの名前をメモしておりました。
本日の庭園はイギリス風ということもありまして、英国由来のバラで、初めて目にして
気になったのは、次のものであります。

 花に近づいて写すことが出来ないのが残念でありますが、一番後ろにある花について
いた札には、「ジョン・クレア」とありました。ジョン・クレアとは、あの詩人のこと
だろうかと思い、まずは写真におさめてから、検索をしてみました。これはそのとおり
でありまして、詩人の名をつけたバラだったわけです。
 当方が、この詩人の名前を知っているのは、もちろん、次の小説集のおかげでありま
す。

 小説「ジョン・クレアの詩集」は、上林暁さんが大学時代に教えをうけたエドマンド
ブランデンさんを主人公として、ブランデンさんの回想という形になっています。
 上林さんは、「菊坂二丁目」という小説で、次のように書いています。
「私はブランデン先生をモデルにして『ジョン・クレアの詩集』という作品をかいた。
ジョン・クレアは先生の掘り出した詩人であり、その詩集は、1850年刊のものだった。
われわれが大学を出るとき、記念として、イギリスから持ってきた本を一冊づつくれた。
私は『ジョン・クレアの詩集』をもらった。この本は一番高貴なものであると、落書が
してある。」
 次には、小説「ジョン・クレアの詩集」に登場するブランデン先生が語る詩人ジョン
クレアについてです。
「ジョン・クレアは1793年に雙生児の一人として生れ、貧困の中に育ちました。處女
詩集時代には世の歓迎を受けましたが、次第に時代からとり残され、遂に発狂して、
晩年二十四年の間は癲狂院で暮らしました。それからはもう忘れられ、1864年、孤独の
うちに死んだ薄幸の詩人でありました。その埋没した詩人の埃を払って、私が世の中に
再び出したのです。私の田園詩人としての先駆者なのです。」
 ジョン・クレアの詩を読むのは、簡単ではなさそうでありますが、日本では上林さん
の小説とバラのおかげで、一部の人には良く知られる詩人となりそうです。