本日は久しぶりでお天気がよろしとなりました。このお天気を逃す手はなしで、
最近人気の庭園へと足を運びました。英国人の庭園デザイナーが作られたとのことで、
写真で切り取ると、よその国のようであります。
この庭園では、この時期「バラ祭り」というイベントをやっているのですが、本日
は平日ですから、特別なゲストを呼んでの企画はやっていませんでしたが、たくさん
のバラを目にすることができて、眼福の一日でした。
バラは、本当にたくさんの樹がありまして、よほど有名なものでありましたら、
見分けがつくかもしれませんが、すこし違うが、同じような雰囲気のバラというのは、
ほとんど見分けがつきません。
気に入った花がありましたら、これは自分のところで育てることはできないかと、
育てる場所もないのに、バラの名前をメモしておりました。
本日の庭園はイギリス風ということもありまして、英国由来のバラで、初めて目にして
気になったのは、次のものであります。
花に近づいて写すことが出来ないのが残念でありますが、一番後ろにある花について
いた札には、「ジョン・クレア」とありました。ジョン・クレアとは、あの詩人のこと
だろうかと思い、まずは写真におさめてから、検索をしてみました。これはそのとおり
でありまして、詩人の名をつけたバラだったわけです。
当方が、この詩人の名前を知っているのは、もちろん、次の小説集のおかげでありま
す。
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ブランデンさんを主人公として、ブランデンさんの回想という形になっています。
上林さんは、「菊坂二丁目」という小説で、次のように書いています。
「私はブランデン先生をモデルにして『ジョン・クレアの詩集』という作品をかいた。
ジョン・クレアは先生の掘り出した詩人であり、その詩集は、1850年刊のものだった。
われわれが大学を出るとき、記念として、イギリスから持ってきた本を一冊づつくれた。
私は『ジョン・クレアの詩集』をもらった。この本は一番高貴なものであると、落書が
してある。」
次には、小説「ジョン・クレアの詩集」に登場するブランデン先生が語る詩人ジョン
クレアについてです。
「ジョン・クレアは1793年に雙生児の一人として生れ、貧困の中に育ちました。處女
詩集時代には世の歓迎を受けましたが、次第に時代からとり残され、遂に発狂して、
晩年二十四年の間は癲狂院で暮らしました。それからはもう忘れられ、1864年、孤独の
うちに死んだ薄幸の詩人でありました。その埋没した詩人の埃を払って、私が世の中に
再び出したのです。私の田園詩人としての先駆者なのです。」
ジョン・クレアの詩を読むのは、簡単ではなさそうでありますが、日本では上林さん
の小説とバラのおかげで、一部の人には良く知られる詩人となりそうです。