北の無人駅から 2

「北の無人駅から」という本は、790ページからなる厚い本で、なかには本文への注と
いう形での解説文が小さな文字による三段組みではさみこまれ、まことに読みでがあ
るものです。

北の無人駅から

北の無人駅から

 北海道では「無人駅」というのは、ごくごく普通のものでありまして、ホームは
あって昔は駅員がいたであろう古い建物は残っているが、そこは待合室としては
機能しているものの、人はまったく配置されていないのであります。
この本のまえがきで、著者の渡辺さんは20代の頃に無人駅の待合室で駅寝をしたとき
のことを記しています。その時にであった80歳のおばあさんは、無人駅の待合室の管
理と清掃をJRから依頼されて担当しているとのことですが、その方の思い出を紹介して
います。
「昔はね、ここは駅員さんやら保線の人やら、5人も6人もいたんですよ。国鉄の官舎も
ありましたしね。豆腐屋さん、魚屋さん、パチンコ屋さん、農協の支所もあって、商店
街の大売り出しもやって、たいしたにぎやかだったんですね。」
 街が駅から拡がっていった時代がありました。こうした街がいけなくなったのは、
皮肉なことに日本の高度成長でありまして、地方の若者たちが農業よりも工場で働く
ことになって家をでたことがありました。工場につとめた人たちは社宅または団地に
住んで車を購入し、帰省するのは鉄道を使うことはなしとなりました。地方の過疎化
のはじまりであります。
 80歳のおばあさんのエピソードに続いて、渡辺さんは次のように書いています。
「今では利用客がほとんどなく、列車も日に数本しか停まらないような無人駅にも、
そこが『駅』だというだけで、他の空間にはない濃密な空気が漂っているような気が
する。その駅を利用し、そこを通過した人びとの哀感、そして、まちの歴史が折りかさ
なって堆積した独特のぬくもりとでもいおうか。」
 地方都市は、どこも駅前に繁華街がありました。北海道の地方の駅前はどこも大変で
あるはずです。それだけに鉄道の北海道会社には、しっかりとしてもらいたいと思う
のですが、なにせ地方の鉄道は、とんでもない赤字路線でありますからね。
 この「北の無人駅から」のもともとの成り立ちは、次のようになります。
無人駅のたたずまいに興味を抱いた私は、それから数年たって、『旅の情報誌
THE JR Hokkaido』という特急列車の座席ポケットに差し込まれているPR誌(JR
北海道の車内誌)の編集部に企画を提出し、以降無人駅についての取材記事を書く
ようになった。」