ありえへん世界 2

 加藤九祚さんは、ニコライ・ネフスキーの伝記「天の蛇」によって大仏次郎賞受ける
のでありますが、若くして亡くなったニコライ・ネフスキーは、この著作によって広く
日本人に知られるようになりました。
 「天の蛇」(当方が持っていますのは、河出書房の76年刊元版)のはしがきには、
次のようにあります。
「明治以降、多くの外国人が来日して日本語と日本文化を研究し、ある者はこの国の土
と化し、ある人はその学んだものを身につけて帰国した。そしてこれらの人々の研究や
支店は、程度の差こそあれ、日本人自身の日本観に影響を及ぼしたことも事実である。
 これらの外国人たちの中で、本書でとりあげられるニコライ・ネフスキーはひときわ
群を抜いた人物である。」
 「ひときわ群を抜いた人物」であるにもかかわらず、日本で名前が知られていないの
には、理由があります。そして、それゆえに加藤九祚さんは、この「天の蛇」を書くこ
とになったわけです。
「しかし私がネフスキーの生涯を調べて見ようと思い立ったのは、これだけの理由では
ない。私はネフスキーの一生のうちに、個人の意思ではどうすることもできない『有為
転変』、さらには二十世紀前半の人類のかなりの部分が経験せざるを得なかった悲劇の
一典型を見る思いがするからである。
 ロシア人ニコライ・ネフスキーは1915(大正5年)23歳で来日し、十四年間日本に滞
在して、深く日本語と日本文化を研究する一方、多くの日本人たちと交友関係を結び、
周囲の人々にも忘れ難い印象を残した。」
 「個人の意思ではどうすることもできない有為転変」であります。ネフスキーの生涯
に加藤さんが強く引きつけられたということが、この一言から伺えることです。
加藤さんが経験した「シベリア抑留」などは、「個人の意思ではどうすることもできない
有為転変」ということができるでしょう。