ありえへん世界 4

 ニコライ・ネフスキーさんが「ペテルブルグ大学派遣の官費留学生として、二カ年
の予定で日本に留学」したのは、1915(大正4)年のこととあります。
「ペテルブルグ大学」で1915年のことでありますから、もちろん、この時は帝政ロシア
から派遣されています。ちょうど二年が経過するころに、帝政ロシアは崩壊し、新しい
国家体制へとなって、ロシアからの送金もストップしてしまいます。
 帝政ロシアが崩壊したのにあわせて帰国した人もいたでしょうが、ネフスキーさん
は、日本国内で研究を継続することを選択しました。帰国したのは、1929(昭和4)年
でありますから、14年間にわたり日本に滞在していたことになります。
 国家の体制がかわっていることをどのくらい意識していたかでありますが、ご本人は
国へと帰ったら、西夏語の資料入手が容易となって、研究が進むということしか、頭に
なかったようであります。
 国に戻ったネフスキーさんは、日本語教師としての職について、日本人妻と一人娘を
国に呼びよせようとするのですが、それが実現するのには4年もかかりました。
1933(昭和8)年に、やっと母子はレニングラードネフスキーさんと一緒に暮らすこ
とが可能となったのですが、それはまもなく暗転します。
 ちょうどその時期ソビエト・ロシアは、スターリン時代となっていて、大粛清が始
まっていたのであります。