文化こそ戦争を滅ぼす 5

 文化活動が盛んになっている時というのは、戦時体制からの復興期であるようです。
戦時体制への反省が、文化を活発にしていたということであって、文化活動の活発が
戦争を遠ざけていたということではないようです。
 この時代は文化活動が活発とはとうてい思えないことでありまして、その意味から
も、文化活動を活発化しようと思ったら戦争にむかっていくしかないということにな
るのでしょうか。(もちろん、これは逆説的なジョークでありますね。)
 中井正一さんの図書館運動にかける情熱を見ますと、中井さんがその文章で描いて
いるUSAの詩人のことが思い起こされます。
「1935年、アーチボルド・マックリーシュ氏がアメリ国会図書館長に任命された
ときは、全米図書館人は、彼がこの道のズブの素人であるという理由をもって反対し
たものであった。
 彼は詩人であり、・・ルーズベルト『炉辺閑話』等の文章のブラック・チェンバー
であったといわれている。
 それが突如、国会図書館長となったのだから、一つのセンセーションを全米図書館界
に起こしたことは容易に想像される。
 彼はしかし、実に颯爽と、この図書館の改良に着手したのである。戦争という現実が
国会図書館をして、閑日月を楽しむていの読書機構であることをゆるさなかったのでは
あろうが、この大任に敢然とついた素人としてのマックリーシュの心境は、察するに
余りあるものである。」
 連合国の占領という状況下で、国会図書館を設立するときに、中井正一さんの頭に
あったのは、このマックリーシュさんのことでした。上に引用した文章は「組織として
の図書館へ」というのは、1950年2月に発表されたものですが、このマックリーシュさ
んの業績をたたえる内容であります。
そして、この文章の結語は、次のようになっています。
「マックリーシュ氏の歩みのあとを辿ってつきすすめば、その靴跡は、真っ直ぐにわれ
われの上に、太平洋を越えて続いていると、私は深い感慨とともに思わずにいられな
い。」
 マックリーシュさんは詩人であるとのことですが、当方はその作品は知らずでありま
す。
当方の頭に残っている彼の文業は、中井さんによって「ユネスコの大憲章の筆をとった」
と紹介されているものであります。
 ユネスコ憲章の前文の一部を引用してみましょう。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなけれ
ばならない。
  相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と
不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまり
にもしばしば戦争となった。
  ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主
義の原理を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等と
いう教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。
  文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くこと
のできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって
果さなければならない神聖な義務である。(後略)」