仕事帰りに 4

 仕事帰りに買った本「あの過ぎ去った日々」木下順二著を、ぱらぱらとみています。
 この本の次のところに注目しました。
「戦前までは、新劇俳優と能、狂言、歌舞伎の人たちとの交渉交流は、特殊な例外を
除けばまったくなかったのだが、その交流が、あの敗戦後のあるとき、一瞬間だけ実現
され、そのことから、その時にではなく、ずっと後年、私は大変恩恵を蒙ったと思って
いる。
 その瞬間が実現されたのは、ひとえに大倉喜七郎氏のお蔭であった。」
 この大倉さんというのは、あのホテル・オークラの大倉さんでありまして、この人の
ことを木下順二さんが「お蔭」といっているのであります。この喜七郎さんについて
は、伝記などもかかれているようですが、今も和モダンとして定評あるホテルと集古館
を残しただけでも充分にユニークですが、それにとどまらない人であったのですね。
「大倉さんhがおそろしく多芸多才、乗馬もうまかったそうで、そのことでおつきあい
できなかったのは乗馬がうまい私として誠に残念だったが、高価な外国馬の購入などで
馬術界をパトロナイズしていたほか、囲碁の世界やら舞踊の世界やら、いろんなところ
パトロンだった。なかでも音楽は専門の域に踏み込んで、大和楽という邦楽の新流派
をつくった・・・
 銀座四丁目の安藤七宝店に、防音冷暖房完備の大倉音楽事務所をたぶん戦前から持っ
てられ、戦災にも遭わなかったそこの部屋を私たち、というのは山本安英や岡倉士朗や
若い人たちでずいぶんと自由に使わせてもらった。」
 若い芝居関係者に金があるはずもなしでして、勉強する場所を確保するのも一苦労で
あったでしょうから、有り難いことですよね。
 木下さんは、ここでたくさんの人を大倉さんより紹介されたといいます。
「『夕鶴』の初演は1949年だが、劇の伴奏音楽の作曲者を皆で考えているとき、『ああ
若い人でいい人がいますよ』といって團伊玖磨を紹介してくれたのも大倉さんだった。」
 この大倉さんのネットワークはどこまで拡がるのでありましょうか。