「波」9月号

 新潮社から届く「波」は亡父の名前で定期的に届く、唯一の配達物となります。
亡くなって、すでに7年が経過しますが、父の名前で継続購読の案内を送っていた
だきますとそのままの郵便振替を利用して、継続の代金を振り込んでいます。
岩波「図書」とか「ちくま」も生前に定期購読をしていた父でありましたが、
晩年になって継続購読の案内をもらっているにもかかわらず、手続きすることが
できずに、どういうわけか最近「図書」が届かなくなったといっていたのを思い
だします。
 これまたどういうわけか、そんななかで新潮社「波」だけは継続の手続きがなさ
れていて、これは岩波「図書」とくらべたときに、新潮社「波」のほうが手続きの
時期がきたことがわかりやすいからかもしれないと思っています。(そういえば、
当方のところには、二ヶ月ほど前に岩波「図書」の継続案内がきましたが、いつも
と違った封筒にはいって届いたにもかかわらず、「図書」もなんかわけあって、
このような送付法にかわったのかと、やりすごすところでありました。この時点で
こうでありますからして、あと二十年も立ちますと、継続の手続きをきちんと
できるかどうか自信のないことであります。)
 めったに「波」に掲載の文章を話題とすることがないのは残念でありますが、
9月号のものでは「時のなごり」という津村節子さんの文章が目につきました。
これは連載ものですでに24回ということですから、二年も続いているのに、これ
までほとんど記憶に残っていないというのは、読んでいないからでありましょう。
 今回はタイトルからして「返ってきた原稿」とあって、目がいってしまいました。
返ってきた原稿は、津村さんのパートナーである吉村昭さんの小説「ふぉん・
しいほるとの娘」のものであります。
 この作品は、「サンデー毎日」に連載したものだそうですが、一回18枚で、連載
は123回続いたとありますので、二年以上で、総枚数は二千枚にもなります。これ
だけあると、生原稿といって保管場所に困るくらいで、ダンボール箱におさまって
いて、このダンボール箱は津村さんの力では到底もてないものであったとあります。
連載されていたのは1975(昭和50)年6月からのことだそうですので、よくも40年
も経過して、この原稿が作者のご家族に返却されたものであります。