「波」9月号 2

 原稿が作者に戻されるようになったのは、ごく最近のことのようであります。
 津村節子さんの文章には次のようにあります。
「以前、原稿は原作者に返却していなかったのだが、2006年の日本文芸家協会理事会の
折に、各社に対して必ず本人または遺族に返還するように通達した、という報告が
あった。以来小説は戻るようになったが、エッセイ類は返ってこない例が多く、まして
PR誌に書いた原稿などは殆ど返ってこない。」
 最近では、ワープロソフトかエディターを使って文章を作成する方がほとんでありま
しょうから、原稿用紙に手書きというのはごく少数派になっているのでしょう。
津村節子さんは、すこし高齢の作家さんになりますが、いまだ手書き派でしょうか。
 有名作家の生原稿は、古本屋さんの販売品目として人気のあるものらしく、いつも
より立派な古書目録が届きますと、そこには写真入りで肉筆の一点ものが掲載され、
そのなかには生原稿がでています。
 どうして作家の原稿が市場にでるのかですが、これは出版社の関係者が流したか、
作家の家族が流したか、そのどちらかであります。作家本人、または家族が流すという
のはよろしとして、出版社の関係から流れるとややこしいことになります。
 2006年以前でありましても、原稿は返却することと出版社にうるさくいっていた作家
さんもいたことでしょうから、そうした作家のものは、めったに市場にでることなく、
人気のある作家さんの場合は、高額での取引となります。
本当に、原稿は誰のものかであります。( もちろん、これは作者のものであります。)
 津村さんによりますと、吉村昭さんは「古書店の目録などに、(自分の)原稿がでて
いたとき、自分で買い戻したものもある」のだそうです。
 吉村さんが自分で買い戻したということは、すくなくとも吉村さんは自分の原稿が
市場で販売されることを愉快には思っていなかったということですね。それはとりも
なおさず、その原稿を受け取った関係者との信頼関係の問題であるのでしょう。
 津村さんは「古書店や市場にでる作品は、恐らく担当だった人の遺族関係者が処分
に困って打ったものだろう。」と書いていますが、近年一番話題となった原稿流失は
編集者本人が、存命の作者の原稿を古本屋に売却したものでありました。
それこそ吉村さんには、信じられない話でありましょう。