八月のこの時期は、お盆のせいもありまして、亡くなった人たちのことを思い浮か
べることです。当方の父は年齢からいくと、戦争にいっていても不思議ではないので
ありますが、身体が悪かったために、兵隊検査には合格しなかったと聞きました。
父母の兄弟・いとこ関係などで太平洋戦争にいった人はいるようでありますが、
幸いにして、一人も戦病死する人はなく戻ってきたのはめでたいことでありました。
戦時下においては、兵隊にいくというのはお国への奉公でありますからして、国の
ために死ぬのが一番名誉でありまして、戦争にとられて生きて帰りたいなどとはいう
ことができなかったことでしょう。
最近になって国のために死することが、美化されるようになってはいないかといわ
れています。なんといっても懐古主義的な指導者がひきいる国でありますからして、
これが杞憂にならぬことを祈るばかりであります。
先日にブックオフへと立ち寄りましたら、斎藤貴男さんの以下の本がありました。
(斎藤貴男さんの本は、ともすれば生活保守主義に陥りそうな当方は、遠ざけたい
ものでありますが、最近の世の中がどうなっているかを考えるには、たいへん参考に
なるものです。)
- 作者: 斎藤貴男
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2004/04/10
- メディア: 単行本
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あります。
「強いリーダーを求める風潮が高まってきた。排外主義を隠そうともしない。マッチョ
気取りたがる政治家に人気が集まる。ともすれば日本人の政治意識の未熟さに原因が
求められやすい傾向は、しかし現代の”先進国”に共通する現象ではないか。・・
わかりきっていて平然としていられる、いや、それこそが”国益”だとして反対運動
を小馬鹿にできる神経の持ち主たちが、現代のこの国の多数派になってしまっているの
だろうか。投票行動などを通して、日本国民の総意が戦争を否定しない政権を選んだ
のは、まぎれもない事実なのだ。私たちは私たちの税金で同胞に人を殺させ、挙句の
果てに殺される運命を甘受させようとしている。」
これは、この「非国民のすすめ」の巻頭におかれている書き下ろしの「なぜこんな
国になってしまったのか」という文章の一節であります。
この本がでたのは2004年のことです。文中にある強いリーダーというのは、小泉
純一郎さんとか石原慎太郎さんのことをいっていますが、それからかれこれ十年たっ
て、世の中ますます「決められる、強いリーダー」を求めています。それって独裁者
待望ではないかと思いますが、個人商店のような会社とかは意志決定が早くていいと
いわれるものの、そういうところでのきまり文句は、いやならやめればであります。
最近は、どちらの会社もいやならやめればとなっているようで、そういう会社社会と
国のありようは鏡の裏表であるのかもしれません。