戦後70年かな 2

 本日はお盆行事でした。
 当方の地域は旧盆で行いますので、8月13日にはじまって16日までとなります。
旧盆の最終日には、兄弟が集まって母を囲んで昔語りとなります。主には亡くなって
十年が経過しようとしている父の思い出話です。
 今回は、亡父の残したものを整理しておりましたので、アルバムなどを見ながらの
話となりました。
 ちょうど戦時中からの写真が残っておりまして、そのころの人々の雰囲気というの
は、このようであったなと思いながらうつり込んでいる人々をながめていました。
ことしも過去の戦争をテーマにしたドラマなどが制作されているのですが、どんなに
登場する役者さんたちがリアルに演じても、この時代の雰囲気が伝わってきません。
まあ、それをいうのは酷ということでしょう。
 戦争にいっていた人たちが多く存在していた時代は、そのへんのところが甘いと
すぐに批判をあびたでしょうから、そうとうにそれらしかったのではないかと、すく
なくとも、今の当方は思っていることです。(軍隊の内務班で新兵をいびる古参と
いうと南道郎さんがすぐに頭に浮かびますが、あの当時には軍隊を経験した人たち
もたくさん、彼の演技をみていたでしょうが、そうそうあるあると共感をしてみて
いたのでしょう。)
 昨日に引き続きで、旧満州の開拓地から引き揚げ団をまとめて日本に帰国した
リーダーさんの回想録の一節から引用です。(このリーダーさんは、当方が小学生
の一時期を過ごした都市近郊開拓地の入植リーダーさんでありました。)
「思えば、あの尚混乱動揺の内戦の時期に、食糧・被服、貨車のあらゆる資材を
動員提供して、私たちの帰還を図ってくれた、中国の、特に蒋介石総統に感謝の念
を禁じ得ない。
 永い五十年間、中国を侵略し、中国民衆に物心両面の迷惑をかけてきた歴史、
事実は誰しも知る。それにも拘わらず、罪を憎んで人を憎まずといった人道的立場
で、処遇した人間愛というか、心の寛い中国に感銘した。
 同様に私たち日本人の、心からの反省があわせて必要なことをも痛感させられた
のだ。
 私たちは、敗戦国民になってみて、中国民衆が長い間、耐え忍んできた根強い
根性、『没法子』のことばにこめられる、強靱さに頭を下げねばなるまい。
 生きるための競争、といってもそれには節度があるべきだ。文明、文化のこの時
代に、他国を侵略するなど、あってはならないことだ。
 日本人の犯した過まり、罪に対して、このようにむくいた中国、私たちはこれか
らの真の日中友好をもって恩に報ずべきと思う。」
 1976(昭和51)年には発表されたものでありますが、当時の認識としては、ごく
ごく普通のものであったように思えます。